東京五輪・パラリンピックのエンブレム「組市松紋(くみいちまつもん)」を制作した美術家の野老(ところ)朝雄さん(52)=東京都文京区在住=は、生粋の江戸っ子ながら、エンブレムに藍色を取り入れた縁で徳島とつながった。「藍色おじさん」を自認し、「日本の代表的な色の一つ」と魅力を語る。「とくしま藍の日」にちなんだ、新しい年中行事も提案してくれた。

 

 

 ―日本らしく市松模様を組み入れたエンブレムになぜ藍色を使ったのか、改めて理由を聞きたい。

 東京五輪・パラリンピックの理念である多様性と調和をどう表現するかと考えたとき、藍色で描きたいと思った。藍色は本当に美しい。江戸時代400年の歴史の重みがある。

 阿波藍については、エンブレムを制作していたとき、それほど知らずにいたが、学ぶにつれて徐々に魅せられるようになった。

野老さんが制作した、東京五輪エンブレム㊧、パラリンピックエンブレム㊨

 ―藍色と、素材として藍の魅力をどう捉えているか。

 江戸時代の日本橋の様子を描いた絵巻「熈代照覧(きだいしょうらん)」を見てもらいたい。問屋街の店先に、藍地に白抜きののれんがずっと連なっている。その辺を歩いている人々も、おそらく半数以上が、藍色の衣服を粋に着こなしている。

 何を言いたいかというと、藍色は日本で古くから、みんなの色だったということ。桜やあかねのように高貴な人たちだけの色じゃなくて、ワーキングクラス(労働者階級)にも、侍にも広がった庶民の色というのが大きな魅力だ。歴史に裏打ちされた日本を代表する色の一つだろう。明治初期の長者番付に、徳島の人が多いのもうなずける。

 それほど普及した理由には、藍染の強さもあると思う。桜染めなんかに比べると色落ちしにくいし、繰り返し重ねて染めることだってできる。抗菌作用や防虫効果があるのも面白いね。

 ―藍色のエンブレム制作を機に、阿波藍のPR用ロゴマークを手掛けるなど徳島関連の仕事が増えた。徳島に愛着は生まれたか。

 実はもともと「阿波」の漢字が頭に浮かばないほど徳島と縁が薄かった。ところが今では、上板のBUAISOU(ブアイソウ)とか、海部の永原レキさんとか阿波藍に関わる人たちと個人的につながっている。

 BUAISOUの代表の楮覚郎(かじ・かくお)さんは芸術家みたいな感じで、藍農家でありアパレルデザイナーでもある。レキさんはサーファーでありながら、染めるという行為を生活の中心に据えている。彼らのまねは東京ではできない。徳島という豊かな場所があるからだと思う。

 ―阿波藍のPRは行き届いているだろうか。

 関東ではこれまで、(化学染料を含む)藍色と(天然染料の)藍の違いすら認識されていなかった。だから徳島で、もっと阿波藍を発信してきたら良かったのにという感じはする。東京五輪・パラリンピックは本当にそのチャンスだし、これからももっと発信してもらいたい。

 そういう意味でも、「藍の日」を設けたのは素晴らしい試みだと思う。例えば、この日は必ずぼた餅を食べるみたいに、藍の日には県民が家の前に藍染の旗を掲げるとか。徳島の空に、インディゴブルーのフラッグがそこかしこではためく。何かそういう、新しい伝統を作り出すことができたらすてきだよね。

 ―紆余(うよ)曲折の東京五輪・パラリンピックをどうみているか。

 去年、延期になったことで、藍色の魅力発信のためにやってきた我々の取り組みが、とても意味あることのように思えてきた。「藍色おじさん」はいっときのキャンペーンでなく、一生やっていくんじゃないかな。