阿南工でグラウンドの整備を続ける若江さん(左端)。ナインは白星で応えようと誓う=同校グラウンド

 約15年前から、草刈りやグラウンド整備などを通じて阿南工野球部を支えている男性がいる。若江昇さん(73)=阿南市長生町。好きな高校野球を応援したい一心でボランティアの支援を続ける姿に、ナインは白星で応えようと、練習に打ち込んでいる。

 若江さんは練習後や選手が遠征でいない間にグラウンドを訪れ、整地や草抜き、ごみの回収、ネットの補修などをしている。「小さいころから顔を知っている地元の子どもが多いチーム。放っておけない」と言う。

 きっかけは、おいが所属していた阿南工の練習試合を見にグラウンドを訪れた時の出来事だ。同校の選手が左翼越えの打球を放ち、ボールはネットに当たった。相手校の左翼手が行方を探したが、高さ50センチほどに伸びた雑草が邪魔をして見つからない。走者が生還し「あんなグラウンドでは選手が気の毒。何とか力になりたい」と草刈りを引き受けることにした。

 阿南工のグラウンドは1962年の創部以来、お世辞にも良いとは言えない状態が続いていた。新人監督として91年に赴任した村瀬義夫さん(53)=富岡西高教=は、石ころが転がり、雑草に覆い尽くされていたグラウンドに驚き、整備に明け暮れた一人だ。

 若江さんが野球部に携わるようになってからは、村瀬さんと二人三脚で汗を流した。夏休みは夕方まで練習した後、午後10時を過ぎても作業の手を緩めず、OBらに何度も止められたという。

 若江さんの口癖は「やればできる」。当時、ブルペンが三塁側にしかなく、村瀬さんが「もう一つあったら(練習試合で対戦する)相手校の投手が練習できるのに」とつぶやくと、若江さんは整備を提案した。2人でグラウンドの隅にあった土をふるいにかけては一塁側のベンチ奥に積み、数カ月かけて仕上げた。

 「バックネット裏から見ていたら、やりたいことが次々と浮かんでくる」と話す若江さん。手作りのトンボや一輪車といった備品の寄付も続けており、選手には整備の仕方を教えている。

 来春の学校統合に伴い、現校名では最後の出場となる今夏の大会。若江さんは「阿南工の名前がなくなるのはすごく寂しい。波に乗って勝ち続け、甲子園に連れて行ってほしい」と願う。

 初戦は統合する新野との対戦が決まり、若江さんが見守る前で実戦練習を重ねるナイン。井筒遥大主将は「言葉では言い表せないぐらいお世話になり、感謝の気持ちでいっぱい。一つでも多く勝つことで、少しでも恩返しがしたい」と躍進を誓った。