戦後の阿波踊りの歴史をひもといた連載など、阿波踊りの原点を考える記事をまとめています。

■「久しぶり踊る!踊る! 腹は二の次、くり出す人々」と新聞見出し GHQの許可で終戦翌年に復活【戦後70年の軌跡 新聞でひもとく阿波踊り】①(2015年8月3日掲載)

 

 戦後。徳島市の中心部は焼け野原だった。食べ物は乏しく、空襲で焼け出された市民の多くは疎開。残った人々は小さなバラックで暮らし、闇市も立った。
 日本は連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあった。徳島県にも45年11月に進駐し、県庁に軍政部が設けられた。何をするにも進駐軍の許可が必要だった。

 

■「進駐軍の兵士が興味深そうに見ていた」 終戦翌年の復活に踊り子熱狂【戦後70年の軌跡 新聞でひもとく阿波踊り】②(2015年8月4日掲載)

 

 1946年に復活した徳島市の阿波踊りは初日の8月10日から大にぎわい。12日までの期間中、県内各地から老若男女が押し寄せ、久しぶりの平和な盆を満喫した。

 

■競演場で踊りを審査 個性的な踊りで観客を魅了【戦後70年の軌跡 新聞でひもとく阿波踊り】③(2015年8月5日掲載)

 

 徳島市の阿波踊りが復活した翌年の1947年、両国橋通りに戦後初の「競演場」が設けられた。踊りの腕前を競う場で、審査員の眼鏡にかなった手だれの連には優勝旗や賞品が贈られた。

 

■「徳島の宝」理想の形は 阿波踊りのない夏、踊り手やファンの思い(2020年8月12日掲載)

 

 収束の兆しが見えないコロナ禍。関係者は阿波踊りがない「ぞめきの響かない夏」をどんな気持ちで迎えているのか。「徳島の宝」である阿波踊りの魅力に磨きをかけるには、何をすればいいのか。戦後初の全面中止を機に、ここ数年来議論が続いている運営面や開催スタイルも含め、理想とする阿波踊りの在り方を踊る阿呆(あほう)と見る阿呆の双方に話し合ってもらった。

 

■第2回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞受賞作 「踊る阿呆」佐川恭一

 別に阿波踊りが好きなのではなかったが、みんな「徳島といえば阿波踊りやんね?」と言ってくるし、ほかに特技もないので阿波踊りをしていた。サークルの自己紹介。東京出身の太田はテコンドーが特技で、ネリチャギと呼ばれるかかと落としのデモンストレーションで微妙な拍手を誘っていた。