講演などで見せる沈痛な表情に、事件で負った心の傷は、相当に深いのだろうと想像していた。そうには違いないが、話してみれば、案外明るい。その強さの訳を問うと、迷わず言った。「家族のおかげです」

 現在は故郷の佐渡で、老人ホームの介護員として働く曽我ひとみさん。北朝鮮に拉致されたのは19歳の時。母ミヨシさんは46歳だった。ちょうど40年になる

 「着くなり、肖像画を見せられた。知らないと言ったら、びっくりした様子だった。金日成など頭になく、北朝鮮にいるとは思いもよらなかったもの」。絶望的な状況の中で、最終的に結婚という選択をする

 一般国民よりましとはいうものの、生活は苦しかった。どれだけ古いのか、配給の米は灰色で、小石や虫が大量に混じっていた。工夫をしてもくさみが消えない。家族に思う存分食べさせられず、切なかった

 停電は日常茶飯事。凍える冬は、あるだけの防寒着を着込み、何足も靴下をはき、一つに固まって寝た。それでも家族がいたから、生きる気力を失わずにいられた

 帰国から16年。事態はもっと悪化しているはず。精神的に参っていた時、支えてくれた横田めぐみさん、そして世界に一人だけの母。「その日を信じ、必死に生きている拉致被害者を、一日も早く、一人でも多く救出してほしい」。願いは一つだ。