新型コロナウイルス禍の中、無観客という異形の祭典となった東京五輪が幕を閉じた。

 競技そのものは盛り上がりを見せた。日本勢が獲得したメダルは58個、金メダルは27個といずれも史上最多となった。厳しい行動規制に縛られながら、鍛え抜いた身体を躍動させるアスリートに心を打たれたシーンは数知れない。選手の頑張りに拍手を送りたい。

 だが、見る方は心から楽しめただろうか。

 爆発的なコロナの感染拡大で医療の逼迫(ひっぱく)を招き、期間中に緊急事態宣言、まん延防止等重点措置の対象を拡大せざるを得ない状況になった。五輪がもたらしたとは言えないまでも、「安全・安心な大会」に暗い影を落としたのは間違いない。

 コロナを甘く見た政府や大会組織委員会の責任は重い。選手の活躍で盛り上がったのをいいことに、大会が成功したように喧伝(けんでん)することは許されない。

 「復興五輪」も「コロナに打ち勝った証し」も実感できず、開催の意義はついに見いだせなかった。大会の理念「多様性と調和」は、開幕前から、組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言、開会式担当者による過去の障害者へのいじめ発覚などが相次ぎ、色あせた。

 救いは、その理念を選手たちが体現したことだ。

 黒人差別に反対する片膝をつくポーズがサッカー女子の選手に広がり、頭上で両腕を交差させ、差別への抗議を示した陸上女子砲丸投げの米国選手もいた。体操女子のドイツ選手はレオタードではなく、足首まで覆う「ユニタード」を着て、ジェンダー平等を訴えた。

 五輪憲章では政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じており、過去には黒人差別に抗議した選手が追放されている。国際オリンピック委員会(IOC)がその規制を今大会から緩めたのは、世界の人権意識の高まりからにほかならない。

 それに比べ、いかに人権問題への理解を欠いていたか。政府や組織委は猛省すべきだ。

 商業主義のひずみもあらわになった。

 IOCに巨額の放送権料を支払う米テレビ局の意向で真夏の開催となり、競技時間にも配慮した。懸念通り、酷暑のため選手が倒れたり、苦情が出たりした。時間変更を余儀なくされた競技もあり、女子マラソンのスタート前倒しは、本来の開始時刻の11時間前という異例の発表となった。

 大会開催が強行された背景には、中止によって放送権料を失いたくないIOCの意思が働いたとされる。

 経済的、政治的思惑にほんろうされる五輪でいいのか。大会を厳格に検証し、改革の糧とすべきである。