エッセイストの森下典子さんが、お茶を習い始めて15年がたったころの話である。雨の6月、おっくうだが、稽古場の茶室に向かった

 お点前が済み、ふと眺める。「蓋置き」はアジサイの葉を丸めた形に、その上の豆粒ほどのものはカタツムリに見える。茶室の空気がそうさせるのか、雨の一粒一粒が鮮明に聞こえ出した。<私は「耳」そのものになった>

 雨の日は、雨を聴く。床の間に掛かった短い掛け軸には「聴雨」とあった。<過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。道は一つしかない。今を味わうことだ>と気づく。長押の上に掲げられている額は「日日是好日」だった

 自著「日日是好日『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」(新潮文庫)にある。本書の一節を思い浮かべると、うっとうしい梅雨時の、雨に耳を澄ましたくもなる

 横浜に森下さんを訪ねた。「この本は、『聴雨』を書きたくて書いたようなものですね」と言う。本書が映画化され、10月に公開される。森下さん役は黒木華さん、お茶の先生役は樹木希林さんである

 稽古場に入る日差しも、お湯が沸くのにかかる時間も、季節によって変わる。「お茶の決まり事が自然のサイクルに沿ってという具合に、全ては宇宙の巡りに従っているんですね」。一服いただいたように、その話は味わい深い。