今週の「土曜放談」は特別版じゃ。2本立てでいかしてもらいますわ。

目的って何ぞいな

 徳島新聞を読んどったら、出とったのう。徳島市の内藤市長、前の市長やった遠藤はんの記者会見に、市役所の記者室を使わせんかったんやって。感じの悪い話や。

 今大荒れのミャンマーやアフガニスタン、香港でも、市民を抑えつけようとするやからは、決まって報道の自由を制限しようとするやろ。これかって同じやで。報道の自由へのあからさまな介入やないかのう。

 あちきもまるで土地勘がないわけやない。あそこはな、市政に関わる公的なことなら、誰でも記者発表ができたはずや。第一、記者会見を主催するのは記者クラブちゅうでわ。市が横やりを入れる話やない。ことは憲法にかかわるでの。一課長ごときの判断ではでけんはず。誰が決裁したんやろうか。

 記事によると、「(記者室の目的は)市の施策や行事を迅速、広範に市民に周知するために設けている」そうや。徳島市は記者クラブを宣伝隊と位置づけとんじゃのう。まあ、記者クラブは、発表ジャーナリズムちゅうんかいな、オールドメディアの談合組織のように言われとるけん、しゃあないか。

 歴史的に見れば違うわな。そもそもは共同して権力に対抗する組織やったそうやで。県庁や役所の記者室は、「設けている」やなしに、昔の記者たちが「設けさせた」ものなんやと。時には首長のスキャンダルを追及する舞台にもなった。市長や市役所に都合のいいことだけを発信する記者室なんて聞いたことありゃせんわ。遠藤はんの会見は「目的外」と言うけど、目的の方が違ごうとりまへんか。

 民主主義と言やあ、たいそうなことになる。ほなけど、いろんな人がいろんな意見を遠慮なしにぶつけあって、初めてええ考えが生まれると、あちきは思うよ。異論にしっかりと耳を傾けるのは、政治・行政のいろはの「い」。気に入らんもんは斬って捨てたらいい、なんてことしてたら、時代劇の殿様でもお取りつぶしになりまっせ。LED城の城主さんもよくよく考えてもらわんと、いかんわな。(美波のり平)

※記者クラブ=日本新聞協会によると、「公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される取材・報道のための自主的な組織」。1890年、帝国議会の傍聴取材を要求し、各社の記者が団結したのが始まり。行政が取材拠点として記者室を提供することは、1992年に京都地裁が示した「行政財産の目的内使用」との判断が確定している。この問題での新聞協会の見解は、協会のインターネットサイトに詳しい。

 

子どもは社会の宝なんジョ

 夏休みも終わりかぁ、と、子どもの嘆く声がする。親はほっと一息。どこでも見られた家庭の一こまですなぁ。けんど、近頃は様子がちょっと違うとるみたいジョ。

 子どもの自殺が多い日本、こんな不幸なことはごわぁへんわなぁ。中でも多いのは、夏休み明けとか。「9月1日問題」などとも呼ばれとるそうでんなぁ。勉強不振・友人関係・いじめなど、原因はいろいろあるみたいや。ほんで今年はまたコロナでオンライン授業だの、人と会えないなどと、子どもらに追い打ちをかけることも多いんですやろうなぁ。

 実はウチとこの子も昔、不登校で、親は心配しましたワ。そのとき思うたことは「この先、どうなろうとも、死なれるよりはましや」

 親より子が早う死ぬことほど、つらいことはありまへん。学校がすべてではない。勉強はいつでもできる。安定した生活が幸せやとは限らへん。おかげで、親としても人間としても、一緒に勉強させてもろうたんジョ。

 子どもの自殺を止められるのは、親しかおらん。大人しかおらん。親は何もできひんけど、「木」の上に「立」って、よう「見」まひょ。子どもはあんたの、社会の、大事な宝やけんな。(意地野悪婆)

※ごわぁへんわなぁ=ありません

※「木」の上に「立」って「見」る=「親」という字のこと