プロ野球巨人で投手として活躍した條辺剛さん(37)=徳島県阿南市出身=が、埼玉県ふじみ野市に、讃岐うどん店を開いてから10年がすぎた。昼食時を中心に多くの客が訪れていて、「このままずっと店を続けていきたい」とうどんを打つ手に力が込もる。

讃岐うどん店を開き、10年がすぎた條辺さん=埼玉県ふじみ野市

 「あっという間ですね。もう10年かという感じです」。節目の10年を越え、條辺さんはそう語った。午前7時に店を開けるため、3時に起きて、5時ごろには店で仕込みを始める。1日300~500食を提供し、午後3時に閉店。その後も翌日の仕込みを黙々とこなす。「食あたりでも出たら大変。毎日、毎日が勝負です」と力を込める。

うどんを打つ條辺さん


 毎日同じものを作り続けるのは難しい。10年がすぎた今でも「まだまだ」と言う。気温と湿度によって塩水の加減を変え、うどんをゆでる時間も30秒ほど変えることもある。ゆでているうどんをつまみ、指で固さを確かめながら、釜から揚げるタイミングを計る。

 もちもち、つるつるのうどんが売り。そして、1玉でもお腹いっぱいになるほどの量を提供している。「自分も(客だったら)いっぱい食べたいから。もうけがなくても頑張っています」と笑う。

1玉でもボリュームたっぷり

 香川県の中西うどんで、妻の久恵さんと1年8カ月の修行を経て、2008年4月にオープンさせた。直後は、元巨人の選手による店としても話題を集め、1日800食ほどが出ていたという。しかし、その後は150食ほどまでに落ち込んだ。「どこまで下がるんだろう」と不安にかられたが、接客をはじめ、麺打ち、だし作りと基本に立ち返り、客足は戻った。

  「いまがあるのは野球をやっていたおかげですね」と語る。のれんの文字は巨人の長嶋茂雄終身名誉監督のもの。店内には監督のサインも飾られ、いまでも写真を撮るファンがいるという。チームメートだった岡島秀樹さんから開店10周年で贈られた花も飾られている。朝7時の開店後は、出勤途中のサラリーマンが朝食にするため立ち寄る。野球ファンだと巨人の話題などで話が弾む。来店客は決して多くはない。「それでも来てくれる人がいるから」と、朝からの営業を続けている。


 小学4年の長男(9)が2年ほど前から、リトルリーグで野球を始めた。日が長くなり、仕事を終えた後に、キャッチボールをしたり、ノックをしたりしている。「楽しみながら、高校3年まで続けてもらえたら」と成長を見守る。

 子どもは現在3人。「大きくなるまでは、いまの店をしっかりやって、子どもたちを育てたい」。うどんづくりは75歳ぐらいまで続けたいという。マウンドに立ち、強打者たちと対戦した場所への思いが強いのか、「東京ドームの近くで店をやってみたい。夢の夢ですけどね」と笑った。

阿南工の後輩にエールを送る條辺さん


 出身の阿南工業高校は、2018年度末に閉校するため、野球部は今年が最後の夏となる。少子化による徳島県内の学校統廃合の流れを受けたもので「時代なので仕方ない。でも、母校の名前が残らないのはさびしい」と話す。

 同校を選んだのは多くの試合に出て楽しくやりたいと思ったから。中学までの軟式との違いに苦しんだものの、徐々に適応した。冬休みに社会人チームの練習に参加し、自分で1週間のメニューを組み立てて取り組む重要性を学んだ。これをきっかけに、それまで漠然と取り組んでいた練習も目的意識を持ってこなし、チームにも伝えた。高校3年の春ごろに脚光を浴び始め、プロからも注目を集めるまでに成長した。
 

 最後の夏は、3回戦で春の選抜に出場した鳴門工(現・鳴門渦潮高)と対戦。後に阪神タイガースで活躍した渡辺亮と投げ合い、延長の末に敗れた。この大会には、徳島商に牛田成樹(元横浜ベイスターズ)もいて、プロに進んだ投手が活躍した年だ。「もっと上に行きたかった。でも楽しくやれた」と振り返る。

 最後の夏の大会に阿南工は阿南光との合同チームで出場する。何度も足を運べる距離ではないが「準決勝、決勝と、応援に行けるぐらいまで勝ち進んでほしい」と後輩たちにエールを送った。