徳島で晩年を過ごしたポルトガルの文人モラエス(1854~1929年)の神戸在住時代を知る貴重な資料の一つ、写真パネル「滝を背景にしたモラエス」について、長年、神戸市中央区の「布引の滝」とされてきた撮影場所は、実際は同市北区有馬町の「皷ケ瀧(つつみがたき)」=現在の鼓ケ滝(つづみがたき)=だった。徳島大総合科学部モラエス研究会代表の佐藤征弥准教授が検証し、明らかにした。

モラエスがここで写真を撮ったと記した「有馬鼓下の瀧」の絵はがき

 写真パネルは徳島市の所蔵。76年、眉山山頂に「モラエス館」が開館した当初から展示されていた。現在は、徳島市徳島町の市中央公民館内「モラエス展示場」にある。滝を背景にして若き日のモラエスが写り、説明書きには「布引の滝を愛しよく散策したモラエス」と記されている。

 佐藤准教授は、徳島市所蔵の「モラエスの絵はがき」全609点を岡村多希子・東京外国語大名誉教授が翻訳した「モラエスの絵葉書書簡―日本発、ポルトガルの妹へ」(彩流社刊)を参考にして検証。滝の写真が裏面に印刷された1枚のはがきに書かれた文面の日本語訳に「何年か前にぼくが自分の写真を撮って一葉お前に送ったのは、この滝のそばだった(有馬の滝の滝壺のそばで杖を片手にズボンをまくりあげたスタイルで撮った写真)」(原文まま)と記され、写真説明として「有馬皷下の瀧」と印刷されているのを見つけた。

【a】滝を背景にしたモラエスの写真【b】「有馬皷下の瀧」と印刷された滝の写真の絵はがき【c】aの拡大図【d】bの拡大図【e】「皷ヶ瀧」と記された別の絵はがきの拡大図。点線で囲った数字の部分が一致している(佐藤准教授提供)

 「有馬皷下の瀧」の写真が印刷されたはがき(写真b)と、滝を背景にしたモラエスの写真(写真a)を比較したところ、滝壺の岩の形が一致(写真cとd)。加えて滝の名称について、別の古いはがきでは「下の瀧」と「皷ケ瀧」の表記が混在していたが、どちらも左右の岩の特徴が一致しており(写真dとe)、同一の滝と確認した。

 「鼓ケ滝」は、神戸市北区有馬町の鼓ケ滝公園内にあるが、1938年の水害で崩落。後に修復されたが、形は大きく変わり、撮影時の特徴も既になくなっている。

 佐藤准教授は「布引の滝はモラエスのお気に入りの散歩コースだった。滝の形も似ていることから、パネル作成の際に思い違いをしたのでは」と分析する。その上で、県内外の研究家によってモラエスに関して不確かだった部分が徐々に明らかになっていることを踏まえ、「パネルは開館以来45年もの間そのままになっている。新しく判明した事実を反映して改善していくことが必要」としている。