1945年8月6日、広島に世界で初めて原子爆弾が投下された。街は一瞬で焦土と化し、年末までに約14万人が亡くなった。平和都市を宣言する広島市は、自らの被爆体験を語る「被爆体験証言者」を育成しているが、証言者の死去や高齢による引退が相次ぎ、次世代に被爆の実相をどう引き継ぐかが喫緊の課題となっている。市のジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」に参加し、修学旅行生の平和学習や徳島にゆかりのある人らの平和活動を取材して継承のヒントを探った。
 

平和記念公園にある「平和の灯」

 

 「この灯がいつ消えるか、知っていますか」。7月29日、平和記念公園(広島市)のモニュメント「平和の灯」の前で、ボランティアガイドの立川元英さん(66)が、修学旅行で訪れていた美馬市脇町中学校の3年生に問い掛けた。「8月6日」と男子生徒が答えると、立川さんは「6日に消えたら意味がない。世界から核兵器がなくなる日です」ときっぱりと返した。6月現在、世界9カ国で1万3000発以上の核弾頭が保有されており、「灯が消えるのは非常に遠い道のりです」と行く末を憂える。

 一行は原爆資料館を見学し、被爆体験談を聞いた後、原爆ドームなど公園に残るものをくまなく見て回った。「爆風を横からではなくほぼ真上から受けたので、原爆ドームの外見はほとんど残った」「原爆投下後は水を求めて川に飛び込む人が大勢いた」。固唾をのんで立川さんらの言葉に耳を傾けていた上田一彪さん(15)は「話を聞いてつらくなった。76年前に原爆が落ちたこの地に今、自分が立っているのは感慨深い」と話した。立川さんは「みんなの小さな力が核兵器撲滅への大きな力になる。今日のこの時間を頭の片隅に入れて忘れないでほしい」と思いを託す。

立川さんの説明を聞きながら原爆ドームを眺める生徒

 

 徳島県内では、平和学習を目的に広島や長崎、沖縄を修学旅行先に選ぶ学校が多い。しかし、新型コロナウイルスの影響で昨年からは中止や延期、行き先の変更を余儀なくされている。脇町中は当初の予定から1年2カ月遅れで広島訪問が実現した。昨年度の修学旅行に関する県教委の調査によると、公立中82校のうち九州を訪れたのは3校、中国は9校、九州と中国の両方は1校にとどまる。沖縄は全て中止となった。公立小では166校中、中国は17校、九州はなかった。
 戦争の悲惨さを目の当たりにする貴重な機会が失われる中、各校は社会や国語、道徳などの授業で資料や新聞の切り抜きを活用するなどして、平和学習の幅を広げている。徳島市の富田中は昨年8月6日を登校日とし、平和記念式典のテレビ中継を視聴。今年3月には広島市から証言者を招き、1、2年生が講話を聞いた。
 担当教諭は「授業で教員の話を聞くのと比べ、生徒の心構えが違う。広島には行けなかったが、生の声に触れ、臨場感を味わうことができた。オンラインを活用するなど、できることを考えたい」。出口の見えないコロナ禍でより一層、平和教育に知恵を絞る必要がありそうだ。

公園内にある「原爆の子の像」