夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する「車屋の黒」は、べらんめえ調で話す大柄な猫である。おとなしい登場人物(猫含む)ばかりの中で異彩と存在感を放つ

 大量にネズミを捕ったと得意げにひけらかしたり、人間は卑劣だと悪態をついたり。かと思えば、苦痛を受けたとして<イタチの最後っぺと魚屋の天秤(てんびん)棒にはこりごり>と弱音も吐く。傲慢(ごうまん)さの中に愛嬌(あいきょう)があり、どこか憎めない

 べらんめえの荒っぽさに、麻生太郎財務相の渋面が重なる。決裁文書の改ざんという重大な不祥事で省は大揺れ。もちろん謝罪した。ところが、後々に口を突いて出るのは「悪質なものではない」「(原因が)分かれば苦労しない」

 事を軽視するかのごとく、なぜか不遜な発言を繰り返す。半面、麻生氏は「半径2メートルの男」の異名を持つ。接した人の多くが、べらんめえの気さくな面に魅了されるのだという

 思えば9年前、麻生氏は首相と自民党総裁の座から降りた。政権を失った選挙大敗の責任とあって、極めて当然ではある。この時ばかりは「宿命と思って甘受しなければならない」と潔かった

 いまの麻生氏にとって文書改ざんはさしずめ、車屋の黒が言うところの<最後っぺ>だろう。<天秤棒>は、辞任を求める世論や野党の声ではなかろうか。麻生氏を巡るこのたびの結末や、いかに。