「この川に骸骨が埋まっているの」。8月6日午後、広島市の平和記念公園近くの川沿いを歩いていると、前にいた小学校低学年ぐらいの女児が隣の祖母らしき女性に尋ねた。「そうよ。ここでたくさんの人が亡くなったの」と女性は答え、公園にある「原爆の子の像」のモデルで、白血病を患い12歳で亡くなった佐々木禎子さんの話を始めた。「禎子ちゃんの像が建てられ、世界中から折り鶴が送られてきたの」。2人は引き寄せられるように像の方へ向かった。
 

広島城のそばにある被爆樹木ユーカリ=広島市内

 広島市には、原爆ドームや旧日本銀行広島支店など爆心地から半径5キロ以内に86の被爆建物、2キロ以内には焦土の中で生き延びた約160本の被爆樹木がある。至る所に平和について学ぶきっかけが散らばる街に、県内外の子どもたちが足を運ぶ。そんな場所だから、冒頭の会話も自然と生まれるのだろう。
 市のジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」で「まずは自分の街の空襲を知ることが大事」と教わり、小学校から高校時代までを振り返った。徳島市の学校に通った12年間、約千人が犠牲となった徳島大空襲について学んだ記憶はない。県内のほとんどの戦跡が日常に埋もれているのが現実だ。
 被爆体験伝承者の沖西慶子さんは県外で講演する際、その土地でどんな空襲があったのかを事前に調べるという。「自分の所で起きたことだけを学ぶのは時代遅れ」との指摘はごもっとも。歴史や平和を学び、自分の生活や社会にどう結び付けるかまでを教えるのが本当の平和教育ではないか。無関心は今の平和を脅かしかねない。
 

自身の被爆体験を語る八幡さん=広島市内

 広島に滞在中、多くの被爆者の声を聞いた。8歳で被爆した八幡照子さんは、病気になるたびに「被爆の後遺症じゃないか」と今でも不安になるそうだ。「思い出すと眠れなくなる」と言いながらも、声を震わせ体験談を語ってくれた。悲惨な経験から口を閉ざす人も多い中、語り部の負担は大きくなっていく。
 被爆の伝承を語り部任せにしてはいけない。歳になっても被爆体験証言者として活躍する河野キヨ美さんは「言葉の力を信じて一生懸命伝えてもらいたい」と、研修に参加した記者に投げ掛けた。こうした思いを無駄にしないために何ができるのだろう。次の世代にどうつなぐのかが、私たち全員に問われている。

【電子版限定】76年目のヒロシマに関する記事はこちら⇩

原爆の日 「命つないでくれた」徳島の被爆者遺族の思い https://www.topics.or.jp/articles/-/570159

【動画】8歳で被爆 警鐘を鳴らし続ける広島市の八幡照子さん https://www.topics.or.jp/articles/-/570336

原爆の日 「三度許すまじ、原爆を」被爆者の願い https://www.topics.or.jp/articles/-/572253

【動画】原爆の日 次世代に伝える家族証言者・沖西慶子さん https://www.topics.or.jp/articles/-/572234

被爆者1万人が運ばれた離島「似島」 戦争遺構を訪ねて https://www.topics.or.jp/articles/-/576165

継続的な報道を呼び掛ける河野さん=広島市内