安政南海地震の被害と教訓を漢詩で刻む「敬渝碑」=松茂町の春日神社

 徳島県松茂町中喜来の春日神社境内にある「敬渝碑(けいゆひ)」は、安政南海地震(1854年12月24日=旧暦嘉永7年11月5日)の地震津波碑として有名だ。地震の被害や教訓を後世に伝えるべく、震災の2年後に、藍商で地元の庄屋だった三木與吉郎光治が奉納した。

 安政南海地震は、現在では「南海トラフ巨大地震」と呼ばれる巨大地震の一つである。南海トラフ巨大地震とは、駿河湾から日向灘沖にかけてを震源域とし、おおむね100~150年の間隔で繰り返し発生してきた。海溝型地震のため、津波を引き起こす。

 この安政南海地震の際、徳島では沿岸部を中心に甚大な被害が出た。徳島藩の幕府への報告には「死者150人、流失家3801軒、焼失家3570軒」などと記されている。

 敬渝碑で注目すべきは、題字を徳島藩儒学者・新居水竹が揮毫(きごう)していることだ。水竹は幕末の徳島藩のリーダーとして崇敬を集めた人物で、書の達人としても名高く、〝阿波幕末の三筆”に数えられる。

 そしてなによりも庚午事変(稲田騒動、1870年)で、刑法上「最後の切腹」を遂げたことで知られる。庚午事変とは、徳島藩家老職だった稲田家家臣団の分藩運動に対し、激高した徳島藩士がこれを襲撃。稲田家側に多数の死傷者が出た大事件である。新居水竹は襲撃には直接加わってはいないが、暴発を止められなかった責任を取って切腹した。

 閑話休題。石碑の碑文は、春日神社に隣接する呑海寺の住職・夢巌観が起草し、七言の漢詩形式で刻まれている。例えば「堂閣人家多倒傾」は「建物や人家が多く倒壊した」、「扶老携幼擬避浪」は「高齢者を助け、子どもを携えて津波から逃げた」などと読めるという。

 また「桑田既見湛似見」は「田畑がまるで海のようになってしまった」の意味で、液状化による大規模な噴砂現象が起きたと解釈できるようだ。

 碑は町有形文化財に指定されている。大切に守り伝えたい歴史遺産である。

〈2021・10・7〉