かつて、徳島県内に「日本一短い鉄道」が走っていた。国鉄小松島線(中田―小松島、1・9キロ)である。和歌山や阪神方面に開けた〝海の玄関口”小松島港の利用者らを運び、昭和40年代頃まで活況を呈した。だが利用客減少のため、JRへの民間移行を待たずに1985年3月に廃止され、今では往時のにぎわいを知る人も少ない。
小松島線は、徳島の海岸沿いを南北に走る大動脈・牟岐線の中田駅から分岐し、小松島駅までのわずか1駅区間の路線だった。
阿波国共同汽船が1913(大正2)年に徳島―小松島間に線路を建設し、これを鉄道院(のちの国鉄)が借り受けて営業を始めたのがルーツ。戦争の時代を挟んだ72年間、乗客を運び続けた。戦地からの復員者もこの鉄道路線に乗り込み、古里に急いだ。修学旅行時に利用した昭和の児童生徒も多かっただろう。
1961年に徳島―中田間が牟岐線に組み入れられ、中田―小松島間が日本一短い路線に。1985年の廃線当時は、大阪航路の小松島フェリー、和歌山航路の南海フェリーなどが運航していた。その後、1999年4月に南海フェリーが発着港を徳島市に移し、港町・小松島から旅客船が姿を消した。
駅舎の跡地周辺は現在、「小松島ステーションパーク」に生まれ変わっている。「小松島駅」の駅名を掲げた駅舎やホームが再現され、本物の蒸気機関車も展示されている。また、同パークから中田駅までの線路跡は遊歩道が整備され、ジョギングや散歩を楽しむ市民らに親しまれている。
実は小松島駅の近くには、通称「小松島港駅」もあった。小松島駅構内の仮乗降場という扱いで、同駅ホームからの距離は300メートルほど。フェリーや汽船に乗り込むには、こちらが便利だった。
当時の運行事情を知る鉄道マニアによると、ダイヤ編成的には、通勤客らが利用する朝夕は小松島駅、船便の利用者が乗り込む時間帯は小松島港駅が発着場となることが多かったという。
この通称・小松島港駅の跡地は更地となり、駅があったことを知るよすがもない。
〈2021・10・14〉