9日、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。作家として駆け出しの頃から、徳島新聞の紙面に登場している。紙面に掲載された写真から、若かりし頃を中心に振り返る。

徳島高女時代の瀬戸内さん。入学試験の成績は一番で合格したという

 徳島高女時代の瀬戸内さん。徳島新聞で連載していた自伝「花ひらく足あと」によると、合格発表は姉と一緒に見に行った。「パスしていたので二人抱きあって喜んだが、まさかその晩、一番で合格したから、入学式で答辞を読めという通知があるとは、夢にも思わなかった」(自伝より)。

 

作家としてのキャリアをスタートした頃の瀬戸内さん=1952年

 

徳島新聞のインタビューに答える瀬戸内さん。当時は三谷晴美のペンネームで活動していた=東京都内、1955年

 1955年6月14日の徳島新聞夕刊では「女せんだつ」というコーナーに作家としてキャリアをスタートさせたばかりの瀬戸内さんのインタビュー記事が掲載されている。東京の同人雑誌「文学者」に「痛い靴」という小説を発表した女性として登場し、作家を目指すまでの半生を振り返っている。「私に文学の眼を開いてくれたのは小学校時代の先生だったけれど、今日あるのは離婚したからかナ?友達ったら面白いのよ。『あなたは離婚して、こんな生活してるんだから私もしようかしら…』だって」(記事より)。

 

 

徳島ホールでの文芸講演会に臨む瀬戸内さん=1963年11月、徳島市

 小説「夏の終り」で1963年、女流文学賞を受賞し、その年の11月に徳島ホールで開かれた文芸講演会で登壇した。11月9日の徳島新聞に講演録とインタビューで瀬戸内さんが語った女性論が「女よ、強くなれ!」という力強い見出しとともに掲載されている。「一見平穏そうに見える生活。実はいつくずれるかわからぬ不安さをもっているのです。たとえば、こうして話している間でも、その何人かの夫が自動車事故やなにかでポックリ倒れないとも限らない。この人生変転きわまりない時代に、現在の平穏さほどたよりないものはない。(中略)いついかなる事態に遭遇しても自分の生きる道をしっかりと見出す、そんなシンの強い女の生き方を考えてほしいのです」。

 

 

徳島市役所前演舞場に踊り込む瀬戸内さん=1977年8月

 1977年8月、寂聴さんは7年ぶりに阿波踊りに参加した。黒い法衣姿で市役所前演舞場に踊り込んだ。徳島新聞記事によると、徳島市文化センターでの「選抜阿波踊り」を鑑賞し、取材に対し、「ショーはショーとしていいですね。やっこ踊りなんかもいいし。でも、昔のように市民の阿波踊りを復活させてほしいですね」とコメント。「エネルギーのまんまに踊る、例えば、ふだんケンカばかりしている嫁としゅうとめが阿波踊りになると自然と心がとけ合って一緒に踊っている、というような庶民の味が欲しいですね」と語っている。

 

▷▷【寂聴さんの写真集】「愛した、書いた、祈った」99年

まんさくの花が咲く寂庵で=2021年、京都・嵯峨野