瀬戸内寂聴さん(89)は、51歳で出家した翌年、京都市嵯峨野に「寂庵」を結んだ。以来、そこを法話や執筆活動の拠点にしている。
6月中旬、カメラマンと寂庵を訪れた。分単位で毎日、多忙な日程をこなす寂聴さんからの要望で、この日は撮影のみの約束だった。たくさんの木々に囲まれた趣のある庭園で写真を撮り終えると、「まあ、暑いところ、遠方から大変でしたね。上着を脱いで、冷たい物でも飲みましょう」と、庵の中へ招き入れてくれた。
差し出された飲み物はビールだった。「いつも徳島へ帰ったときに、さんざん話を聞いているから、今日は取材はおしまい。いいでしょ」と言いながら、外国産のビールをグラスに注ぐ。いつもより上機嫌で、撮影だけの予定だったにもかかわらず、面白い話題も次々に飛び出した。
「ちくわでもあったらいいんだけど…、徳島の竹ちくわにスダチをかけて食べたら最高ね。もうほかに何もいらない。全国のちくわを食べてきたけど、徳島のが一番。どこもかなわないわね」
以前、ナルト・サンガの青空説法を取材に訪れたとき、お接待で出された冷やしそうめんにも、薄く輪切りにしたちくわとスダチが添えられていた。
「徳島の食べ物では、ほかに何が好きなんですか」と尋ねると、迷わず「かきまぜ」と答えた。「かきまぜ」とは五目ちらしずしのこと。今の若い人は使わなくなった阿波弁かもしれない。
「家々の味があるんでしょうが、お母さんの作ったかきまぜは、本当においしい。私が子どものころに食べたかきまぜは、里芋や豆がたっぷり入っていた」
古里や思い出について語るとき、寂聴さんは本当に楽しそうな表情を見せる。
「ヤマモモも好きなの。寂庵にもナルト・サンガにも植えてある。魚もおいしいわね。いつか朝市にも行ってみたい」
徳島の食材の話は尽きず、話題は先ほど「かきまぜ」談議で勢いづいた阿波弁に及んだ。
寂聴さんは「げしなる」という阿波弁が好きだという。「寝る」という意味だ。漢字では「御寝なる」と書く。
「阿波弁は、京の都の言葉がそのまま残っているものがあるんですよ。私の親世代まではそんな言葉を使っていた。『げしなる』は源氏物語にも出てくるほど、古い言葉。何かをしてくださいというときに使う『~してはいりょ』も好きな響き。それは拝領するということ。昔の言葉が、私の耳には、そのまま残っています」
阿波弁の話題は、寂聴さんが長年、支援した「徳島ラジオ商殺し事件」で殺人の罪に問われた冨士茂子さん(故人)のエピソードにも及んだ。再審になり、仮出所してきた冨士さんは、よく東京在住だった寂聴さんのマンションを訪れた。そのころを懐かしそうに振り返りながら、こんな阿波弁を披露した。
「茂子さんは私の家のやかんを見つけて『先生のとこのやかん、ぶんりょれへんで?』って言うの。『まだぶんりょれへんみたいやけど、今度、新しいのを持ってきてあげる』って」
寂聴さんは今もそのときのことを思い出すと笑いがこみ上げてきて止まらない。冨士さんは仮出所後、金物屋に勤めていたので、包丁に続き、やかんまで寂聴さんにプレゼントしてくれた。
「茂子さんは徳島高等女学校の先輩でもあった。同郷の人と話せる安堵(あんど)感もあり、なまりが通じることがうれしかったんでしょうね。私と話すときの茂子さんはとても冗舌でしたよ」
2001年に野間文芸賞を受賞した自伝的小説「場所」にも、古里の人の会話の中に、柔らかな阿波弁が多用されている。温かみのある筆遣いの中で阿波弁が輝きを放つ。
▷連載 瀬戸内寂聴が語る「わが徳島」(2011年掲載)
1:「いろいろなしがらみがあり、帰ることができなかった。その時『どうしても帰ってきてください』と言ってくれる人がいた」 古里への思い
2:入学式の翌日、学校の図書館で与謝野晶子訳「源氏物語」と出合う 少女時代
3:「徳島の青空は、どこよりもきれい。自慢していい」 古里の風景
4:モラエス、冤罪事件「徳島ラジオ商殺し事件」で殺人罪に問われた冨士茂子さん、立木写真館の思い出 徳島の人々との交流
5:「今日は取材はおしまい。いいでしょ」とビールをグラスに 記者との雑談で
6:主婦、OL、学生、会社員、公務員、喫茶店経営者…多様な人たちが学んだ寂聴塾 郷土の文化育む