冷田川に架かる冷田橋。この辺りに法華寺があったとみられる=徳島市八万町

 徳島市八万町を流れる冷田川(つめたがわ)は、全長わずか1・75キロ。河口には排水用の樋門があり、園瀬川に流れ込む。繊維団地の横にある川といえば、分かりやすいだろうか。

 今回は、そんな冷田川の名前の由来についてである。結論から言うと、この川に投げ捨てられた日蓮宗の祖師・日蓮上人の像が「冷たい!」と叫んだためである。

 ときは戦国乱世の時代。名東郡法花村(現在の徳島市八万町法花)に法華寺というお寺があり、日蓮上人のご尊像をおまつりしていた。天正5(1577)年、土佐の長宗我部元親の軍勢が阿波に攻め入り、寺は無残にも焼かれてしまう(天正12年説もあり)。

 ところが、焼け跡から読経の声が聞こえるではないか。調べてみると、焼け残った像がお経を唱えていた。いぶかしんだ雑兵が像に斬り付けたところ、鮮血が飛び散った。雑兵が驚き恐れて、近くの川に投げ捨てると「ああ冷たや」と叫ぶ声がしたという。

 以来、この川を冷田川と呼ぶようになった。現在は旧土佐街道(県道徳島宮倉線)に「冷田橋」が架かる。

 長宗我部元親は、四国を(ほぼ)統一した戦国大名として全国的な人気があり、最近では「本能寺の変」の影の主役としても注目を集めている。だがしかし、阿波徳島では一貫して悪者である。県内には、中世末から近世はじめにかけて起きた都合の悪いことは、すべて長宗我部のせいにする風潮がある。とりわけ「主だった寺社が、ことごとく焼かれた」という話が広く伝わっている。

 さて、この話には後日譚(たん)がある。法華寺の焼き打ちから数年後の天正16(1588)年、舞台は県南の鞆浦(現在の海陽町鞆浦)に移る。沖合に毎夜のように光るものが見えるため、村人が船を出して網を打ったところ、ご尊像が引き上げられた。

 村人たちは像をおまつりするため、文禄元(1592)年にお堂を建立した。これが現在、海陽町愛宕山にある法華寺である。ご尊像は境内の祖師堂に安置され、「読経のお祖師さま」などと呼ばれて信仰を集めている。

〈2021・11・18〉