徳島市一宮町西丁の県史跡「一宮城跡」の本丸(標高144メートル)で、御殿のものとみられる礎石(建物の土台になる石)や礎石痕が見つかった。市教委によると、1585年に入城した蜂須賀氏が建設した可能性が高いという。戦国時代の山城で本丸に御殿を置く例は全国でも珍しい。

 礎石と礎石痕は東西8メートル、南北10メートルの範囲に分布しており、礎石は15個、礎石痕は7カ所が確認された。いずれも約1・9メートルのほぼ等間隔で並び、御殿は約80平方メートルと推測される。

 出土品の状況から、御殿の屋根は板ぶき、壁は土壁とみられる。市教委は、本丸の石垣の組み方が徳島城と似ているため、蜂須賀氏による建設ではないかとみている。

 滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「関ケ原の合戦を控えた当時の軍事的緊張から、よくみられる麓ではなく、山頂の本丸に御殿を構えたのではないか」としている。

 一宮城は14世紀の築城。一宮氏、長宗我部氏、蜂須賀氏が居城とした後、江戸幕府が出した一国一城令を受けて1638年に廃城となった。県内の城では最大規模で、1954年に県史跡に指定された。

 市教委は、国史跡指定を目指して2017年度から5年計画で調査を行っている。本格的な発掘は今回が初めて。

 23日に市職員による現地説明会がある。午後2時と同3時の2回。雨天決行。当日は一宮小グラウンドと一宮コミュニティセンターを駐車場として利用できる。