徳島大空襲を水彩画で伝える山中さん。惨状の記憶は今も頭から離れない=徳島市八万町内浜の自宅

 反核・憲法フォーラム徳島は4日、「徳島大空襲を語るつどい」を徳島市のとくぎんトモニプラザで開き、当時16歳だった同市八万町内浜の山中夫佐子さん(86)が体験を語る。
 
 山中さんは空襲があった1945年7月4日未明、富田橋7の自宅近くの防空壕(ごう)にいた。米軍機の焼夷弾(しょういだん)投下で徳島駅の方向が明るくなり、眉山の方に黒い物体が次々と落ちるのが見えた。瞬く間に周囲にも火の手が上がり、夢中で逃げる途中、前にいた女性は焼夷弾の直撃を受けて火だるまになった。

 忘れようにも忘れられない記憶をたどり、十数年前から大空襲の体験を水彩画に描いている。つどいでは、炎に包まれた建物、焼夷弾から逃げる家族、防空壕などの作品を披露して惨状を伝える。

 つどいは午後1時から3時まで。講演のほか、空襲関連のDVD上映や資料展示もある。参加費500円。問い合わせは高開千代子さん<電088(662)4678>。