1986年夏の徳島大会は、甲子園春夏連覇を狙う池田と古豪復活ののろしを上げる鳴門が6年ぶりに決勝で激突した。

 80年夏の決勝は、島田茂-秦真司の大型バッテリーを擁する鳴門が池田をねじ伏せた。しかし、82、83年の甲子園夏春連覇を経て全国区となった「池高」には県内から有力選手が集まり、戦力は年々アップ。6年前とは立場が逆転していた。

[左]井上力 [右]潮崎哲也

 「選抜優勝校と決勝で戦える。調子は良かったのでひょっとしたら、という気持ちはあった」。先発マウンドを託された潮崎哲也(49)=埼玉県所沢市、プロ野球西武2軍監督=は、決勝前の心境を思い出す。

 最大の焦点は潮崎が池田打線をどこまで封じることができるかだった。三回まで無失点と順調な立ち上がりを見せていた。しかし四回。1点を失い、なお2死三塁の場面で痛恨のミスをする。打者の松浦周司をスライダーで2ストライクと追い込んだ後、3球目のモーションに入ったときだった。

 三塁走者の井上力(49)=吉野川市川島町桑村、教員=は潮崎のゆったりとしたワインドアップに着目していた。「打者に集中していて走者を見ていない」。2球目で警戒されていないと感じるや、自らの判断で本盗を決意。リードを最大限にとって突っ込んだ。

 潮崎の視界に井上が入った。「完璧に意表を突かれた」。プレートからとっさに右足を外した動きがボークに。「(本盗は)初めての経験だったので慌てた」と潮崎。野球人生で初めてというボークで2点目を失った。

 井上は「(セーフになるかの)タイミングは微妙だったと思う。ボークは想定外だったが、2点目が入ったのは大きかった」。攻めあぐねていた潮崎を鮮やかな足攻で攻略し、ゲームの主導権を握った。

 その後、六回に池田が2点を追加し4-0となり、潮崎と池田のエース梶田茂生の投げ合いは続いた。鳴門は七回に1点を返したものの、その後は無得点。足で奪われた四回の2点目が重くのしかかり、最後は逃げ切られた。

 ▽決勝
   池田000 202 000 4
   鳴門000 000 100 1

 この年の池田は小柄な選手が多く大量得点が見込めないことから、打力に頼らないチームづくりを進めていた。春の選抜大会を制した後、監督の蔦文也が「高校野球らしい野球で優勝してくれたのがうれしい」と選手をたたえたのと同じく、機動力を使った攻撃で春夏連続出場を果たした。

 井上も「僕らの代は負けない野球を目指していた。畠山(準)さんや水野(雄仁)さんの代のような強打が望めない状況でどうすれば点を取れるか。試合の中で常に考えていた」。実感を込めてチームの熟成を語った。
 

鳴門対池田 4回裏、池田2死三塁、三塁走者の井上が本盗を試み、潮崎のボークを誘って生還。打者松浦=1986年7月30日、蔵本球場


 池田は畠山や水野の時代からのパワー野球に新たに機動力が融合。蔦が目指す理想のチームはその後、87年夏までの4季連続甲子園、88年まで3年連続夏の甲子園出場という、いずれも県勢初の快挙に突き進む。

 一方、敗れた潮崎は「決勝まで来られていい思い出になった。悔しさはなかった」と振り返る。池田を相手に一歩も引かずに最後まで投げ切ったことは、その後の活躍が示す通り大きな自信となった。

 「とにかく暑かった。大会前に64キロだった体重は試合後は60キロを割っていた。今思えば、もう少しスタミナがあれば勝てたのかもしれない」。甲子園出場は成らなかったが古豪復活を鮮烈に印象付けた右腕は、炎天下の夏のマウンドを思い出し静かにほほ笑んだ。

 

     強敵に挑んだ夏<2> 池田編㊥ 徳島商(1982・83年)

     強敵に挑んだ夏<1> 池田編㊤ 日和佐(1979年)