右手を大きく振り上げたベートーベン像=鳴門市ドイツ館前

 楽聖ベートーベン作曲の交響曲第9番、通称「第九」は、国内では12月に演奏される機会が多い。有名な合唱パート「歓喜の歌」のメロディーが街にあふれ、テレビ画面から流れ出すのは年末の風物詩といっていい。

 その理由については諸説あるが、この習慣が根付いたのは戦後間もなくの頃のようだ。経済的に窮乏していた時期、第九の演奏会は安定した人気があり、集客が見込めたため、楽団員は年末の臨時収入(ボーナス)が得られた。合唱パートがあるため、戦後広まった「うたごえ運動」の影響がある、との指摘も。

 徳島県鳴門市は、そんな第九のアジア初演地である。ときは、1918年6月1日。場所は、第1次大戦で捕虜となったドイツ人約1000人が暮らした板東俘虜収容所(鳴門市大麻町)だ。ヘルマン・ハンゼン一等軍楽兵曹が指揮する徳島オーケストラの45人と、合唱団84人によって、第九の調べが響いた。

 板東俘虜収容所は、会津出身で「武士の情(なさけ)」を知る松江豊寿所長の人道的な運営で知られる。捕虜たちは音楽や演劇、スポーツなどに活発に打ち込み、地元住民とも交流を深めた。ベートーベンのアジア初演も、こうした交流から生まれたものである。

 こうした史実を基に映画化したのが、出目昌伸監督『バルトの楽園』(2006年)だ。松江所長を松平健さんが演じ、名優ブルーノ・ガンツも出演している。

 鳴門には、俘虜収容所や第九初演の歴史を伝える「市ドイツ館」があり、その正面広場に巨大なベートーベン像が建っている。市制50周年を記念して1997年に建立され、ドイツ人彫刻家ペーター・クッシェル氏が制作した。

 像は高さ3メートルのブロンズ製で、1・4メートルの台座の上に設置されているため、仰ぎ見るような格好になる。楽団を指揮するために右手を頭上に振り上げており、躍動感あふれる姿だ。まるで「楽聖」が時空を超え、第九アジア初演の地に舞い降りたかのよう。あの「歓喜の歌」が聴こえてきそうだ。

〈2021・12・28〉