花嫁菓子を製造する浅井製菓所(徳島市南田宮3)の朝は早い。午前6時というのに工場内は既に熱気にあふれ、窓ガラスは湿気で曇り気味。金属がぶつかり合うカタカタという音が響く中、3代目の浅井裕太さん(36)ら家族3人が慌ただしく動き回り、花嫁菓子を丁寧に焼き上げていた。

 田宮街道から南に少し入った住宅街にある浅井製菓所の創業は1952年。昔ながらの製法にこだわり、もち米と砂糖だけを使って手作りする。

 1日に製造する花嫁菓子は3千枚ほど。製粉したもち米に湯を加えて練り、棒状に伸ばす。これを細かくカットし、鉄板で挟んで楕円(だえん)形に焼き上げる。工場に入った時に聞こえたカタカタという音は、鉄板を上下に動かして生地に空気を含ませる音だった。この作業を経ることで生地に厚みが出て、花嫁菓子特有のサクサクとした柔らかな歯応えになるという。最後に砂糖を表面に塗って乾燥させれば完成だ。

花嫁菓子の製造風景=徳島市南田宮3の浅井製菓所

 浅井さんは「その日の天気や、その年のもち米の品質などを考慮して焼き方を変えている。この作業を10年以上続けているが、まだまだ試行錯誤の連続で一生勉強だ」と汗を拭った。

 同製菓所はかつて、餅を花の形をした型に挟んで焼いたものを花嫁菓子として提供していた。しかし、焼きむらができて硬い部分があり、高齢者らが食べにくいことから、もち米を使った現在の「ふ焼き」の花嫁菓子が主流になったという。

かつて花嫁菓子の製造に使っていたという花形の型

 最盛期だった25~30年前は、アルバイトも雇って今の倍くらいの枚数を製造していた。漁業が盛んな地域では結婚式を盛大に行う風潮があり、鳴門市や小松島市から一度に60~70箱(1箱40袋入り)の注文が入ることもあった。

 浅井さんの父親で、2代目の敬由(たかよし)さん(65)は「花嫁菓子は花嫁道具を運び入れる『道具入れ』や、花嫁が嫁ぎ先の近所を回る『初歩き』のときに近所に配っていた。こうした行事がなくなり、もらう機会が減ったことで花嫁菓子を知っている人も少なくなったのだろう」と残念そうに話す。

 時代とともにこれらの風習が姿を消す反面、花嫁菓子の人気は根強い。結婚式のお見送りで配ったり、引き出物に入れたりと婚礼需要があるほか、最近では徳島ならではの菓子として土産物店に置かれることも多い。

 花嫁菓子を知る若者が少なくなる一方で、こうした地域の伝統菓子を後世に残そうとする動きも出てきている。

 若者世代が協働して地域の課題解決に取り組む県教委の社会教育推進事業の一環で昨年6月、県内の高校生や大学生が浅井製菓所を訪問し、製造現場の現状を学んだ。生徒らは花嫁菓子の魅力を広く発信するため、パッケージのデザインにも取り組むことにしており、同製菓所も採用を検討しているという。

浅井製菓所の花嫁菓子

 「高校生や大学生の訪問は初めてで花嫁菓子の未来が少し明るくなったような気持ちになった」という浅井さん。「これからも若い人に知ってもらえるような工夫をしつつ、徳島の伝統を守っていく」と力を込めた。

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 徳島で結婚式の際に配られるものといえば「花嫁菓子」。サクッとした軽い食感で、ほのかな甘みが特徴の菓子だ。製造メーカーは1965(昭和40)年頃のピーク時には県内に25軒ほどあったが、現在は3軒程度にまで減り、消滅の危機にひんしていると言っても過言ではない。徳島の花嫁菓子はどのように製造され、どんな歴史があるのか。伝統を守ろうと奮闘している人々を追った。

【残したいハレの日の味~花嫁菓子の伝統と革新】
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