まだ81歳と聞けば惜しい。沖縄に根を張る元四国放送プロデューサー大島和典さんが、平和ガイドを引退した

 島へ渡ったのは2004年。以来14年、平和学習の修学旅行生らを現場へ案内し、沖縄戦や基地問題を語り続けた。本土での講演も含め、計1014回に及ぶ。いつの間にか、ガイド仲間でも最高齢になっていた

 73年前、「鉄の暴風」と形容された砲弾の雨を逃れ、住民はガマと呼ばれる洞窟に潜んだ。穴の底の暗闇へ大島さんと降りたことがある。行き場を失った日本兵に住民が追い出されたガマも…、そう説明しつつ口調が変わった。「兵士の中に、父がいたかもしれない」

 1945年6月23日、日本軍の組織的抵抗は終わった。父初夫さんが33歳で戦死したのは、その直前。あと数日生き延びていれば…。しかしそれまで、どうやって激しい弾雨をしのいでいたのか。体験者の証言に触れ、眠れない夜もあった

 島人の苦悩は戦後も続いている。米軍施政下、次々と造られた基地。絶えない事件事故。今度は日本政府が名護市辺野古の海をつぶして、新基地建設を強行しようとしている

 足腰を悪くした今も反対運動の現場に顔を出す。島の土になるまで、と思う。“旧本土人”の罪滅ぼしではない。「沖縄にいると、平和がどこへ向かっているか、よく分かる。だからだ」。