6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から、今年で27年となる。
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7・3の巨大地震(兵庫県南部地震)が発生し、神戸市で最大震度7を観測した。木造住宅を中心に家屋が倒壊し、火災も発生。住まいを失った被災者らが近くの学校などの施設に身を寄せ、ピーク時には31万人が避難所生活を送った。
2カ月後に都内で発生した無差別テロ「地下鉄サリン事件」と合わせ、「日本の安全神話が崩壊した」と言われた。
大都市・神戸を中心に未曽有の被害をもたらせたこの大地震は、徳島県内にも爪痕を残した。
県都・徳島市で震度4を観測。震源地の淡路島に一番近い鳴門市を中心に、徳島市、石井町、穴吹町(現・美馬市)の4市町で被害が出た。
負傷者は21人(重傷9人、軽傷12人)で、住宅の被害は家屋全壊が4棟、半壊が84棟、一部損壊は1089棟を数えた。倉庫など非住家の損壊も68棟あった。
そして下宿などの倒壊によって、神戸市などで暮らしていた県出身の大学生らが命を奪われた。
阪神大震災をきっかけに「日本に災害ボランティアが定着した」とされるように、被災地には県内からも多くのボランティアが駆け付け、食料品や毛布などを届けたり、支援活動を行ったりした。義援金も日本赤十字社県支部など4団体に、1年間で約6億4000万円が寄せられた。
当時は神戸淡路鳴門自動車道が全通しておらず、徳島と阪神方面は陸路では直接結ばれていなかった。また、徳島とのフェリー航路があった東神戸港なども岸壁が大きく損傷し、航行不能に。大阪や岡山などを経由し、なんとか被災地に入ったものだった。ちなみに建設中だった明石海峡大橋は、地震による地盤のずれのため全長が1メートル伸び、完成時(1998年4月)には全長3911メートルとなった。
阪神大震災後に整備された「北淡震災記念公園 野島断層保存館」(兵庫県淡路市)や「人と防災未来センター」(神戸市中央区)は、徳島からの防災学習や遠足の定番コースとなっており、大勢の県民が大震災の教訓や経験を学んできた。
徳島市では1月17日に合わせ、津田中学校の生徒やボランティアらが中心になって追悼行事を開催。神戸市から分灯された「1・17 希望の灯(あか)り」をともし、犠牲者の冥福を祈るとともに、防災を誓っている。
〈2022・1・13〉