全国47都道府県の中で唯一、私立校の甲子園出場がない徳島。2011年の第93回大会で、生光学園が初の甲子園出場まであと1勝のところにこぎ着けた。

 一方の徳島商。06、07年に2年連続で夏の甲子園に出場した後、7季連続で甲子園出場を逃していた。エースの龍田祐貴(24)=那賀町木頭和無田、中学助教諭=は、伝統校のプレッシャーを感じていた。それでも「勝たなければというよりも、全ての試合が終わったときに勝っていればいい」。連投にも気負うことなく、決勝戦のマウンドに上がった。

[左]龍田祐貴 [右]山北栄治

 元日本ハムの武田久投手(現日本通運)を擁して初の決勝進出を決めた1995年以来、16年ぶりの決勝進出。「いつも通りの環境で試合をさせてやりたい」。決勝戦前夜の7月26日、当時の監督・山北栄治(56)=石井町藍畑、教員=は、騒がしくなる周囲から選手を遠ざけ、十分な休養をとるよう指示。翌朝、リラックスした表情の選手を見て「このチームならやってくれる」と自信を得ていた。

 ともに投手力が生命線。先手を取ったのは生光学園だった。四回に沖垣泰史の左前適時打で1点を先制。なお無死一、三塁と攻め立てた。しかし後続が追加点を奪えず1点止まり。二、三回にも同様に得点機を逃していた選手の表情に焦りが見えた。

 「お前ら勝ってるんだぞ」。山北はベンチから守備に向かう選手にげきを飛ばした。しかし、無失点に抑えていた先発の木下雄介(現中日)が四回に2点を失う。「攻撃のミスが少なかったチームだった。2点目が入らなかったことで、気持ちの面で尾を引いていた」と振り返る。

 終盤に入って山北が動いた。1点を追う八回に1死満塁で代打策。これは得点できなかったが、九回に再び代打を送り同点に追い付いた。積極策で徳島商を揺さぶり試合は振り出しに。「勝つために選手を替えて勝負に出た」と山北は振り返る。

 しかし、徳島商は勝ち越しを許さなかった。龍田は粘り強い投球で打線の援護を待った。中学時代、陸上で走り込んで培ったスタミナに絶対の自信があったという右腕は「仲間を信じて投げるだけだった」。

 再試合がささやかれる中で迎えた延長十三回。ベンチに戻った龍田に先頭打者の増富大鳳が「この回、決めてくるけん」と声を掛け打席に入った。増富は見事、右中間へ二塁打。敬遠で1死満塁のサヨナラ機をつくり2年生の岸隆一郎が押し出し四球を選んで試合を決めた。3時間22分、龍田の183球の熱投が報われた瞬間だった。

 ▽決勝
   生光学園000 100 001 000 0 2
   徳島商業000 200 000 000 1x 3
    (延長十三回)

 「選手層の厚さや選手起用を含めて、徳島商が一枚上手だった」と山北は話す。延長十三回を戦い、生光学園が起用した選手は17人。一方、徳島商は先発メンバー9人を変えずに戦い抜いた。カードを使い切った生光学園に延長戦を勝ち切る余力はなく、山北は「早く1点が欲しい、早く決めたいという思いが采配に出た。最後にしわ寄せが来た」と悔やんだ。
 

生光学園対徳島商 延長13回、徳島商が1死満塁から押し出し四球でサヨナラ勝ち=2011年7月27日、鳴門オロナミンC球場


 100回を迎える今大会。生光学園は私立校として県勢初、徳島商は14季ぶりの甲子園出場をそれぞれ目指す。

 あの日の決勝戦以来、両校はあと一歩のところで聖地の土を踏めずにいる。生光学園高の教頭となった山北は「今年こそ勝ってくれるはず」。木頭中に勤務する龍田も「伝統校の重圧に負けずに打ち勝ってほしい」。温かいまなざしで教え子や後輩の活躍ぶりに期待を寄せた。