2002年の第84回徳島大会決勝は県高校野球史上初の鳴門勢対決となった。春の選抜大会で準優勝した鳴門工に挑んだのは鳴門一。当時の鳴門工監督・高橋広(63)が「不思議な勝ちだった」と評するほどの激戦となった。

 鳴門工は初戦からの3試合を五回コールド、準決勝は七回コールドと全試合無失点の圧倒的な強さで勝ち上がった。一塁手で3番の山北聖也(34)=徳島市北沖洲1、会社員=は「県大会優勝は当たり前。甲子園でどこまで勝ち上がれるかという戦いだった」と、あの夏を思い返す。

[左]篠原拓也 [右]山北聖也

 鳴門一は1回戦の城東戦でエース篠原拓也(34)=藍住町矢上、会社員=が1安打完封を成し遂げ1―0で勝利。準々決勝で徳島商に競り勝ち、準決勝は九回サヨナラで生光学園を退けて最後の舞台にたどり着いた。

 決勝は投手戦となり、鳴門一が四回に先制すると、篠原がシンカーを決め球に鳴門工打線に的を絞らせず八回まで散発3安打、無失点に抑えた。あと1イニング。篠原の頭には優勝の二文字がうっすらと浮かんでいた。

 しかし、鳴門工の山北が「負ける気はしなかった」と逆転勝利をイメージした通り、九回に1―1となり、試合は振り出しに戻った。

 延長十三回、鳴門一が均衡を破って1点を勝ち越したものの、その裏に再び追いつかれた。それでも篠原は気持ちを奮い立たせて力投。打線が応えて十五回に再度1点をリードした。「次こそ抑える」とマウンドに上がった篠原だが、決勝までの6試合を一人で投げ抜き疲れは隠せなかった。

 1死満塁からスクイズで同点とされると、続く打者に甘く入った得意のシンカーを中前に運ばれ、三塁走者の山北が決勝のホームを踏んだ。篠原は「延長に入ってから狙った所に投げられなかった。悔しかった」と振り返る。

 逆転サヨナラで激闘を制した鳴門工のベンチは沸き返り、監督の高橋は部長らと抱き合って喜んだ。その様子を目の当たりにした鳴門一監督の森恭人(51)は「(高橋監督が)あんなに喜ぶのを見たのは初めて。そこまで追い詰めることができたんかな」と語る。

 ▽決勝
   鳴門一000 100 000 000 101 3
   鳴門工000 000 001 000 102x 4
     (延長十五回)

 鳴門工と鳴門一は校舎が近く、有力校としてしのぎを削るよきライバルだった。平日にどちらかのグラウンドで練習試合をすることもあった。ただ、森は練習量の違いを実感していた。「われわれが午後8時に終わりのミーティングをしているときに打撃練習の音が響いてきたこともある」

 山北は「平日は午後4時から遅いときは11時まで練習していた。全てにおいて自分たちは他校よりやってきたという自信があった」と証言する。
 

鳴門工対鳴門一 延長15回裏、鳴門工2死二、三塁で新原が中前にサヨナラ安打を放ち、2年連続の優勝を飾った=2002年7月25日、県営鳴門球場


 84回大会と87回大会で鳴門工は夏の甲子園8強入りを果たした。高橋が猛練習で築き上げてきたチームが実を結んだ時期で、県大会では各校の大きな壁として立ちはだかった。

 鳴門一は04年の86回大会でこの壁を破り、甲子園に出場する。このときの徳島大会は、準決勝で鳴門工を下しての初優勝だった。森は「常に鳴門工の背を追っていた。鳴門工を倒したから甲子園に行くことができた」と感慨深げに話した。