柔らかな弧を描き、17連の「ワーレントラス」が連なる姿が特徴的だ。薄青色の鋼材が、四国三郎・吉野川の川面に映える。その名もずばり「吉野川橋」は、徳島市応神町と助任町を結ぶ大動脈として、1928(昭和3)年12月に開通した。
「橋の博物館」と呼ばれ、さまざまな形状、工法の橋が架かる吉野川水系でも、とりわけ印象的な橋の一つである。
全長は1071メートル。完成当時には「東洋一の長大橋」として、その名を全国にとどろかせた。ちなみにトラスとは部材を三角形に組み合わせ、強度を増す構造や技法のことである。
橋を設計した増田淳は高松市出身。米国で、橋梁工学の世界的権威・ワルデ博士に学んだ橋梁技術者だ。帰国後は国内であまたの橋梁を設計し、県内では吉野川橋と同時期に三好橋、穴吹橋、那賀川橋も手掛けている。
名橋をうたわれた吉野川橋だったが、車両通行量の増大に伴って約1・5キロ下流に吉野川大橋(1137メートル)が架けられ、徳島一の大動脈の座を譲る。さらに2012年には「阿波しらさぎ大橋」(1291メートル)が完成。今春には、西日本高速道路が建設中の徳島南部自動車道「吉野川サンライズ大橋」(1696メートル)が開通する予定だ。
吉野川河口の風景は時代とともに、その姿を変えつつある。それでも朝夕、高校生らが自転車でこの橋を渡り、通学する風景が見られるのは今も昔も変わらない。
2018年には土木学会の「選奨土木遺産」に選ばれている。「昭和初期にこれだけの技術の粋を集めた橋が架けられ、今も役割を果たしているのは貴重」というのが、その評価であった。
〈2022・2・1〉