つるぎ町には江戸時代、吉野川水運の拠点となる小野浜港があった。行き来する船頭が、奈良の三輪から技術を伝えたのが半田そうめんの起源と、町の古い製麺業者から聞いたことがある

 「最初は、船頭らの自家用で、細くする技も、必要もなかったのと違いますか」。その人は、そうめんと呼ぶにはやや太く、腰のある半田の麺の秘密を、そう解説した。なるほど合点はいくが、細くする技術はいずれ身についたはずだ。どうして太いまま定着したのか

 江戸中期の特産品案内書「日本山海名物図会」は、そうめんの名産地として三輪を挙げつつ、阿波の品も劣らないと紹介している。昔から「やや太め」を支持する人がいたようである

 ここで船頭というキーワードを思い出してみる。三輪そうめんを器に泳がせれば、絹糸のように美しい。けれども汗して働く者には、少し頼りなくもある。食べ応えのある半田そうめんに需要があったのも道理、とは当方の胃袋からの推測である

 ささっとゆでて、冷水で洗い、氷を入れたガラスの器に放り込む。ネギとミョウガを刻んで、ショウガを添えて。ここはワサビだ、薬味はやはり、と異論もあろうが、ご随意に

 後は、つるると勢いよく。天に「はやぶさ2」、地には半田そうめん出荷最盛期。<ざぶざぶと索麺さます小桶かな>村上鬼城。