1945年7月の徳島大空襲直後、焼け野原となった徳島市街を撮影した写真パネル(縦40センチ、横183センチ)が、眉山山頂の展望施設に設置された。立木写真舘(同市)2代目の立木真一さん(1883~1957年)が、眉山中腹から撮ったパノラマ4枚組。戦後、復興を遂げた現在の景色と見比べ、戦争の悲惨さと平和の尊さに思いをはせることができる。
城山を中央に置き、手前を新町川、奥には吉野川が流れるアングル。阿波商業銀行(現在の阿波銀行、同市西船場町)や丸新百貨店(同市東新町)といったコンクリート製の建物が残るのみで家並みはなく、新町橋は焼け落ちるなど、一面焦土と化しているのが分かる。
パネルには空襲に関する説明文とともに「徳島は絶対復興する。その日のために、この姿を写真に撮っておかなければ」という真一さんの思いが添えられている。
立木写真舘社長の立木恵美子さん(84)によると、真一さんは重たいカメラや貴重なガラス乾板、三脚を担いで眉山へ登ったという。恵美子さんは「この写真は、写真家としての使命感から生まれた。戦争を語り継ぐ貴重な記録なので、多くの人に見てほしい」と話す。
展望施設を訪れた観光客らは、窓際に設置されたパネルを熱心に見詰めていた。眼下に広がる市街の景色と見合わせ、子どもに説明する親子連れの姿もあり、小西征則さん(39)=美馬市穴吹町、会社員=は「普段、触れることがない戦争について知る貴重な経験になった。改めて、今の徳島は平和で美しいと思った」と話した。
空襲の歴史を後世に伝えるため、阿波おどり会館(同市新町橋2)が立木写真舘の協力で作成した。パネルは、同館5階の眉山ロープウエー山麓駅にも掲げられた。