落語が好きで好きで、15歳で古今亭今輔に入門した。師匠はよく言っていたという。「迎えの拍手なんてなくたっていい、下りるときの拍手が肝心だってこと」
高座を下りる際、芸の対価として頂く拍手こそが本物だ。自らの芸への誇りも感じさせるこの言葉は、落語家桂歌丸さんの信念でもあった。半生記「歌丸 極上人生」(祥伝社)にある
ある程度から上の年齢なら、小学生のころからのなじみの顔だろう。50年にわたって演芸番組「笑点」の大看板を務めた。大喜利での軽妙な語り口、やせた体や頭髪をからかわれ、ぶぜんとするしぐさまで芸のうち。日曜の夕、テレビの前をなごませた
「芸人は目をつぶるまで修業。これでいいというときはないですね」。どろどろとした情念が絡み合う「真景累ケ淵」など、幕末から明治にかけての名人三遊亭円朝の人情話をライフワークとした
円朝ものは時代錯誤も甚だしい、と言われたこともある。「だからやるんです。昔の日本人の教えが入っている。そして必ず悪が滅びますから」。笑点の司会を引き継いだ春風亭昇太さんは言う。「人としてのすごみがあった」
体調を崩し、酸素吸入器が必要になっても高座にこだわった。81歳。生涯、落語を追い続けた。目を閉じる際、その耳にはきっと「下りるときの拍手」が届いたはずだ。
2018・7・4