新野高の校門近くに、野球部が1992年春と96年夏の2度、甲子園に出場したことを伝える記念碑がある。
「阿南市から甲子園に出ているのは新野だけ。地元で一番強いチームだと思っている」。現チーム主将の多田京司(17)は、先輩たちが成し遂げた偉業を誇りに日々の練習に取り組む。
1950年の創部から68年。新野が単独で公式戦に出場するのは、この夏の大会が最後だ。来春からは阿南光としての出場が決まっている。現チームに1年生はいない。2、3年生の9人ずつ計18人とマネジャー2人が心を一つにして白球を追い続けている。
副主将の奥谷成陽(18)は、中学3年だった2015年の冬に学校の再編統合を知った。進路を決める大事な時期。「正直、びっくりした」と振り返る。それでも「地元のチームで野球がしたい」と迷いはなかった。
奥谷ら多くの3年生にとって、この年の夏から監督に復帰していた中山寿人(56)の存在が進学の大きな決め手となった。中山は1992年春に新野を初の甲子園に導いた。96年春を最後に新野を離れたが、その手腕と実績は選手の父母らの間で語り継がれていた。3年時に野球部がなくなることが分かっていた今の2年生も中山を慕い、新野の門をたたいた。
練習は平日で5時間、休日は午前8時半から午後5時まで。県内では長い部類に入る練習時間に加え、中山からは内容にも口うるさく注文が付く。多田や奥谷ら3年生は「厳しさは覚悟の上。3年間でしっかりと学び、甲子園に出るため」。猛練習を素直に受け入れ、チーム力向上を図ってきた。
中山には一方で「勝敗は大事だが、それよりも地元から応援されるチームに育てる」という思いがあった。地域あっての野球部。だからこそ地元で行う試合を大切にした。親善試合やブロック別の県総体、新人大会はベストオーダーで臨み、公式戦と同じく全力で戦ってきた。
6月17日。学校のグラウンドで最後の練習試合が行われた。2試合を行い、部員18人全員が出場。ネット裏は地元住民やOB、選手の家族らであふれ、試合後は対戦校にも温かい拍手が送られた。そこには、選手と中山が目指してきた光景があった。
応援する人のまなざしも温かい。野球部OBで96年夏の甲子園でベスト16に導いた当時の監督・安永潔(60)は「OBだけでなく町の人も『最後だから頑張れ』という思いは強い」と話す。その上で「新野の名前がなくなるのは寂しいが、3年生にとってラストチャンスであることは変わらない。全てを出し切ってほしい」とエールを送る。
周囲の期待を感じながら初戦に臨む新野ナイン。多田主将は「仲間と長い夏にしたい。ミスを恐れず、ガッツあふれるプレーをするだけ」と気負いはない。唯一の2年生レギュラーの森居璃青(16)も「勝ち抜いて絶対に先輩たちと甲子園に行く」と強い決意を口にする。
チームは大会第6日の15日、名西と1回戦を戦う。7日の開会式から1週間以上空くこともあってか「まだ選手たちの目の色が変わっていない。でも、これも新野らしさ」と指揮官の表情は柔らかい。猛練習で培った体力と闘争心、そして先輩から受け継ぐ伝統の「伸び伸び野球」で、選手たちは3度目の甲子園出場に全てを懸ける。