泣く子も黙るリーゼント刑事(デカ)―。そんな異名を持ち、徳島県警の捜査部門で長年活躍した秋山博康さん(61)=吉野川市川島町出身。定年退職後は犯罪コメンテーターとしてテレビ番組などで幅広く活動し、第二の人生を歩んでいる。現職刑事でなくなったとはいえ、特徴的な髪型と鋭い眼光は衰え知らず。先日、帰郷した秋山さんにこだわりのスタイルや刑事時代のエピソードなどについて聞いた。(聞き手=矢田諭史)

― 秋山さんと言えばリーゼント。なぜ、その髪型になったのですか。

 直球やな(笑)。結論から言うと、ミュージシャンの矢沢永吉さんに憧れた。中学2年生のとき、ラジオから矢沢さんの歌が流れてきたんよ。当時はフォークソングが主流の中、バリバリのロックンロールに鳥肌が立った。歌っているのはリーゼントの矢沢さん。この人みたいにかっこ良くなりたいと思ったのが始まりよ。けど、当時の校則では男子の髪型は坊主頭(笑)。本格的にリーゼントにしたのは高校生になってからやな。今、61歳。若い頃と比べてちょっと髪が細くなってきたけど・・・、死ぬまで貫き通すよ。

― 警察はルールが厳しい組織。リーゼントは認められていたのですか。

 最初は「お前は公務員だろ!」って先輩や上司から厳しく注意されよった。リーゼントは自分のポリシーであり、生きざま。変えることはできん。これを貫き通すために人の何倍も仕事をした。犯人を逮捕し、結果も出した。そうしたら先輩も上司も何も言わんようになったんよ。やっぱり結果が大事。まあ、警察学校に入るときはどうしようもなかった。すぐに教官と理髪店へ。大丈夫と思ったけど、あかんかった。バリカンで短く刈られたわ。

秋山博康さんと言えばリーゼント。髪型への熱い思いを語る=徳島市の新聞放送会館

― リーゼントにまつわるエピソードがあれば。

 20代後半の頃、ある事件の取り調べで「容疑者に自白を迫ったのではないか」と疑われて、裁判に出廷することになったんよ。もちろん、正当な取り調べだった。それについて尋問を受けるんやけど、公判は裁判官の心証が大切。見た目とか、言葉遣いとかな。だから、検察官が「秋山さん、公判のときは(髪型を)七三分けでお願いできますか・・・」って。ちゃんと言ったよ。「私はリーゼントを通します」って。当時は今以上にボリュームがあってイケイケやったからね。「この若い刑事ならやりかねん」って裁判官にも少し思わしたかもしれんけど、取り調べの正当性はきちんと立証された。自分自身も犯罪を犯した暴走族やチンピラに対し、髪型や服装で判断したことはない。

― 第二の人生もリーゼント街道一直線ですね。

 なんか、いじってない?(笑)。2002年に全国の名物刑事を取り上げたドキュメンタリー番組に出演したのがきっかけで、「徳島県警のリーゼント刑事」という名称が広まった。定年退職する2年ほど前、当時の番組ディレクターと飲んでいたら「第二の人生では、培った知識や経験を犯罪抑止に役立てたらどうか。犯罪コメンテーターとしてテレビやSNSとかで」みたいな助言をされたんよ。一気に酔いが覚めたね。「そういう人生もあるのか」と燃えてきた。右も左も分からない状況で、21年3月31日、退職したその日の最終便で上京した。今、考えると「あほなことするなあ。小学生でもあるまいし」とちょっと思うけどな。

後編「42年の警察人生を歩んだ61歳のおっさんが言えることは『なせば成る』
https://www.topics.or.jp/articles/-/704502

あきやま・ひろやす 1979年4月、徳島県警に採用される。県警捜査1課強行犯係をはじめ、石井署(現・徳島名西署)刑事課長、徳島東署(現・徳島中央署)刑事第一課長など長く捜査畑を歩む。2021年3月に定年退職。上京後は犯罪コメンテーターとしてテレビ番組など複数のメディアで幅広く活動する。動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信もしており、チャンネル登録者数は5万6千人を超える。ホリプロ所属。