泣く子も黙るリーゼント刑事(デカ)―。42年間の警察人生を終え、2021年4月から犯罪コメンテーターとして幅広く活動する秋山博康さん(61)=吉野川市川島町出身。刑事時代のエピソードや現在の活動、古里への思いについて語ってもらった。(聞き手=矢田諭史)

⇨ インタビュー前編「死ぬまでリーゼントを貫くよ」

― そもそも、なぜ刑事を志したのですか。

 小学4年生の夏休み。夜中に目が覚めたら、ガラスの割れる音がして、廊下を歩く足音が聞こえてきた。「恐ろしい人殺しが来た」と思い込んで、何もできずにブルブルと震えとった。父親が物音に気付いて「誰な!」って一喝したら不審者は逃げたけど、それでも怖くて震えが止まらんかった。そしたら110番通報で来てくれた刑事が「おっちゃんに任せとけ。必ず逮捕したる」と声を掛けてくれた。恐怖心がすーっと消えた。安心したのと同時に「このおっちゃんみたいになりたい。困ってる人を助けたい」という気持ちがふつふつと沸いてきたのが、刑事を志したきっかけよ。

― 刑事時代を含め、42年間で多くの事件を担当したんですよね。

 どの事件も印象に残っている。が、中でも2001年に発生した徳島市の父子連続殺人事件やな。「被害者の敵を絶対に取ったる」と誓った。2人を殺害して逃亡し、指名手配された凶悪犯の小池俊一容疑者を11年間追い続けた。「おい、小池!」の手配ポスターが全国的にも注目を集め、県警は必死に行方を追った。けど、小池は12年10月に潜伏先の岡山市内で病死し、発見された。生きたまま小池を逮捕して遺族に謝らせたかった。今でも悔いが残る。わしが死んだら、地獄まで追いかけてきっちりとわっぱ(手錠)をかけたるんじゃ。

徳島東署刑事1課長時代、若手警察官に捜査の仕方や刑事の心得を熱心に指導する秋山さん=2011年

― 定年退職後、新しいステージに挑戦していますね。

 仕事は180度変わったけど、犯罪コメンテーターはこれまで培った知識や経験を生かせるので、その点に不安はなかった。ただ、スタジオでしゃべるのは慣れていなかったんで、要領が分かるまでは苦労したね。他には講演やイベント出演、動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信もしている。今年4月には自伝「リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録」を出版した。刑事時代の苦労話や失敗談、泣き笑いなどをぎゅっと詰め込んだ。読んだ人は笑顔になれると思う。これ、必ず書いといてよ(笑)。

― 昨年11月、地元・吉野川市のふるさと大使に選ばれましたね。

  川島町で18歳まで育った。刑事になってからは数えるぐらいしか帰らず、その点は反省しているし、地元へ恩返ししたい気持ちはずっとある。ふるさと大使の任期は永遠らしい。頼ってくれてうれしいわ。後輩たちがつくる地域活性化グループ「かわしま未来塾」にも顧問として関わり、イベントにはできるだけ顔を出している。リーゼント刑事の姿を見て、古里の人たちが笑顔になってくれるのが何より。生まれ育った地域をもっと元気にできるよう、今後の活動を頑張りたい。

― 徳島の人にメッセージを。

  自分は型破りな刑事で、立派でもなかった。それでも人生は、夢があり、目標があり、それに向かって努力をすれば100点満点の1位になれる。徳島県警は02年、09年に凶悪犯の検挙率が全国トップとなった。もちろん県警が一丸となって懸命に取り組んだ結果だが、自分の夢は「日本一の刑事」になることだった。42年間の警察人生を歩んだ61歳のおっさんが言えることは「なせば成る、やればできる」。これからもよろしく。

吉野川市のふるさと大使を務める秋山さん。生まれ育った地域への恩返しにも努めたいという=徳島市の新聞放送会館

あきやま・ひろやす 1979年4月、徳島県警に採用される。県警捜査1課強行犯係をはじめ、石井署(現・徳島名西署)刑事課長、徳島東署(現・徳島中央署)刑事第一課長など長く捜査畑を歩む。2021年3月に定年退職。上京後は犯罪コメンテーターとしてテレビ番組など複数のメディアで幅広く活動する。ホリプロ所属。