徳島市で講演する石牟礼道子さん=1982年

 ともに鬼籍に入られたが、徳島市出身の作家・瀬戸内寂聴さん(1922~2021年)と、水俣病を告発した『苦海浄土』の作者・石牟礼道子さん(1927~2018年)は親しい間柄だった。魂がふれあう仲、といっていいだろう。

 瀬戸内さんの最晩年のエッセーをまとめた近著『その日まで』(講談社)には、石牟礼さんとの思い出が丹念につづられている。ここに収められたのは文芸誌『群像』に2018年から2021年まで連載された随想で、瀬戸内さんが魂の「盟友」である石牟礼さんの死をどのように受け止めたのか、リアルタイムで伝わってくる。

 例えば、石牟礼さんの訃報から8カ月後の文章にはこうある。「今度しみじみ彼女の本を読みつづけて、石牟礼さんと私は、双生児のようによく似た面があると思い知った。それは、これ以上、自分勝手な、我が儘(まま)な女はいない、いや、吾々二人はいるけれど…という感慨である」

 同書などによると、2人が出会ったのは1973年。瀬戸内さんが、熊本出身の女性史家・民俗学者の高群逸枝(たかむれ・いつえ)の取材のため、同県水俣を訪れた際だ。高群は大正時代に四国遍路を行ったことで知られ、『娘巡礼記』『お遍路』などの著書もある。

 2人の出会いに話を戻すと、石牟礼さんはこのころ既に、未曽有の公害病・水俣病の原因企業、チッソとの闘争を始めていた。瀬戸内さんはこの年11月に出家・得度しており、その直前の熊本行きであった。

 再び『その日まで』から引用する。「まっ直(す)ぐ私を海岸へつれてゆき、黙って岸辺に立たせ、海をみつめさせた。一見おだやかな碧い海にチッソの毒がしみついていることをじかに感じさせるつもりであろう」。この後、瀬戸内さんは石牟礼さんの自宅へ案内され、お母さんのハルノさんの手料理をご馳走になっている。食膳には豆ごはん、野菜のお煮しめ、たくあん、トビウオの干物焼などが並び、瀬戸内さんは豆ごはんをおかわりして、ハルノさんを喜ばせている。

 1982年には、瀬戸内さんが徳島市で開いた「徳島塾」の講師に、石牟礼さんが招かれた。また2020年には石牟礼さんの三回忌に合わせ、徳島県立文学書道館で「寂聴と石牟礼道子―その知られざる交流」と題した企画展示も行われている。

 石牟礼さんの半生やその文学世界については、東みよし町出身の作家・米本浩二さん=元毎日新聞記者、福岡市在住=の『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』『不知火のほとりで 石牟礼道子終焉記』『魂の邂逅(かいこう) 石牟礼道子と渡辺京二』に詳しい。晩年の石牟礼さんに密着取材した手練れの記者による、渾身の作品群である。

<2022・5・25>

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