「全国中学校錬成野球大会」で優勝を果たした徳島商ナイン。全国高校野球選手権の大会史には刻まれていない=1942年8月29日、甲子園球場

 徳島県勢が甲子園の土を初めて踏むまでには長い年月を要した。第29回大会(1947年)までは全国中学校優勝野球大会と呼ばれ、四国4県で1校しか出場できなかった。初出場を果たすのは、第23回大会(37年)の徳島商だった。

 四国の壁は厚く、第22回大会までで決勝に駒を進めたのは第5回大会の徳島商だけ。これ以外は準決勝までに全て他県勢に敗れていた。

 37年は、徳島予選を突破した徳島商が、四国予選で松山商、高知商、宇和島商(愛媛、現宇和島東高)を破り初制覇した。甲子園では初戦の2回戦で海草中(和歌山、現向陽高)に0―1で敗れ、夏の甲子園初勝利はならなかった。

 3年後の26回大会(40年)には、徳島商が県勢2回目の出場を果たす。エースは、後に池田高の監督として夏1回、春2回の全国制覇を成し遂げた蔦文也。春の選抜大会1回戦で3―4で敗れた松本商(長野、現松商学園高)と再び相まみえ、1―1の七回表に敵失で1点勝ち越したが、七回裏にスクイズなどで逆転され2―3で惜敗した。

 大会は戦争のため41年から5年連続で中止された。42年だけは、戦意高揚を目的に文部省(現文部科学省)主催で「全国中学校錬成野球大会」として8月に甲子園球場で開かれ、四国予選を突破した徳島商を含む16校が出場した。

 制球力と縦に大きく割れるカーブを武器にした右腕の加藤順二がチームを引っ張った。1回戦で京王商(東京、現専大付属高)を延長十四回の末に2―1でサヨナラ勝ちし、勢いに乗る。準々決勝の水戸商(茨城)戦、準決勝の海草中戦も連続で虎の子の1点を守り切り完封勝ちした。

 決勝の平安中(京都、現龍谷大平安高)戦では6―6の延長十一回表に1点勝ち越されたが、その裏、2死満塁から連続押し出し四球で2点を奪う劇的な幕切れで栄冠をつかんだ。

 しかしこの大会は主催者が異なっていたため、全国選手権の大会史に徳島商の優勝は刻まれていない。結局、徳島県勢は夏の甲子園で白星を一つも挙げられないまま、終戦を迎えた。(敬称略)

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 今年で100回目となる全国高校野球選手権大会で、徳島県勢は昨年の99回大会までに11校が計56回出場した。通算成績は65勝55敗1分けで勝率5割4分2厘。都道府県別では勝利数が24位、勝率が14位となっている。県勢出場校の軌跡をたどった。