大和武生先生は、1936(昭和11)年に阿南市橘町で、砂糖の卸問屋の次男として生まれた。生家は「丸金」という屋号で、台湾から船で砂糖を輸入し、阿南から高知の室戸にかけて手広く砂糖を卸していたそうだ。木おけに入った砂糖を積んだ船が港に着くと「近所の子どもたちが集まってきて、おけにこびりついて残った砂糖をなめるのが楽しみだった」と懐かしそうに笑っていた。
廃業後何十年もして、新野の田んぼの真ん中で車が故障した折には「偶然にも昔、砂糖の取引でお世話になったという方が、親切に助けてくれた」と楽しそうに話していた…
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