気鋭の建築家石上純也の設計で整備計画が進む徳島県立新ホール。その可能性と課題を探った徳島新聞の連載「徳島県立新ホール・欠かせぬ視点」を読んだ阿南市出身の建築家吉原弘記さん=米ニューヨーク市在住=から、取材班に論考が届きました。「建物の魅力だけでは街ににぎわいは生まれない」と吉原さん。では、他に何が必要なのでしょう?
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「ビルバオ効果」とは
誰も造ったことのない目立つ建物でにぎわいを生もうとするのは、県立新ホールに限らず、昔から行われてきたことである。オーストラリアにあるシドニー・オペラハウスはその元祖だ。シドニーはそもそも経済力があり、文化的中心地でもあった。オペラハウスはそうした条件を基にして、海まで延びる美しい街並みの先、絶好の場所に建てられた。隣の臨海公園とつながった遊歩道網が建物を取り巻き、突堤の先端まで行ける。紆余(うよ)曲折を経て工事費は10倍以上に膨らんだが、今では20世紀を代表する建築として世界遺産となっている。
最も有名な例は20年前に建ったスペインのビルバオ・グッゲンハイム美術館である。1990年代に経済的、文化的繁栄が停滞し始め、ビルバオ市は路面電車の新設や遊歩道、自転車道、公園の整備などを強力に推進した。さらに、秀逸で充実した都市景観の延長上に、シドニー・オペラハウスの美術館版の建設がもくろまれた。(3年間の収益で建設費を回収した)奇抜な形の建築による奇跡的な磁力を称して「ビルバオ効果」という。
以来、ビルバオ効果を狙ったプロジェクトは世界中に数多く展開されてきた。ドイツ・ハンブルクにあるホール、エルプフィルハーモニーもその好例(音響設計を手掛けたのは県立新ホールと同じ音響設計の会社)。奇怪な外観が人々を引き付けるだけでなく、すべての市民がいつでもブラブラと来て利用できるように計画されたことが磁力を生んでいる。地上から長大なエスカレーターで一般開放された8階の入口に一気に上がり、チケット無しで素晴らしい街の眺望が楽しめる。建物の内部は文字通り街の延長である。
ビルバオ的建物の建設は常に冒険であった。しかし、成功した街には成功の基盤が存在していたことが分かる。歴史的に蓄積された文化基盤や都市景観が既に存在していて、目玉となる建物はその基盤の上に置かれた「増幅装置」であった。目玉建築の磁力がにぎわいを生み、にぎわいがさらに磁力を強め、磁力がさらににぎわいを呼ぶという循環が起こったのである。
人はルーブル美術館へ押し寄せるけれど、もしパリの街並みの中ではなく、砂漠にルーブルが建っているのであればそうなっただろうか? 人は芸術を見に行くと言いながら、実はパリの街を見に行くのである。パリの文化と雰囲気を体験しに行くのであって、絵画と彫刻だけを見に行くのではない。むしろ美術館巡りはきっかけであり、言い訳でさえある。
県立新ホールの設計を担う石上純也の設計案は、これまでのような閉じた箱のホールとは一線を画し、建物と街が境界なしにつながることを達成しようとしている。建物が街にぽつんと置かれているだけであれば、建物は「箱」になる。石上案はその内部に街を取り込もうとする単体建物の最大限の工夫である。そのとき、一体となった街に魅力がなければ、新ホールの磁力は低下し、真の機能は半減するであろう。
新ホールは万能の救世主か?
いかに建物が素晴らしく、十分に機能していて、かつ目を引くものであっても、それだけでは循環は起こらないだろう。完成後の単発のイベントも時間的には「点」であって、持続的な磁力には育たないであろう。新ホールの建設と並行して街の文化的資源、景観的資源を構築していくことが不可欠である。ならば、何ができるであろうか。機関車役の新ホールはまだできていないが、むしろマスタープランによって街のデザインと新ホールのデザインが緊密に絡んで進められなくてはならない。以下に記したことは、今から進められる。
◆自転車道や歩道の環状化、網目化
多くの海外の都市で実現しているように、自転車レーンを車道並みに充実させる。遊歩道と自転車レーンを使うことで、新ホールへのアクセスは車を使わなくてもよくする。さらにその先へ気の向くまま回遊できるように網目状、環状に整備し、車を気にすることなく、気軽に安全に使えるようにする。新ホールはその出発点となる(終着点でもある)。市外へもサイクリングルートが伸びるようにすれば、県内各地から簡単にアクセスでき、県全体の観光の磁石となる。
◆緑道化
市中心部にある図書館や博物館などの主要建築やボードウオーク、スポーツ施設、広場・公園を緑道や遊歩道でつなぎ、緑で隈(くま)取りをして目に強く訴える環状ループをつくる。また、民有地や公有地にかかわらず、植樹を推進して緑道と連続するようにする。人々は緑道に誘われ、用がなくても街に出て、そのついでに新ホールに寄ることができる。
逆に、新ホールに向かった後、街に出て、用がなくても街を歩く。ショッピングをする。一般の建物の良さが街並みに貢献するには最低数十年はかかるが、これらの手法は目に訴える。すべての人が街の変化を体験できる手法だ。しかも植物は成長するので、正しい樹種とデザインをしておけば数年で効果が見えて必ず良い投資になる。
以上の提案は新ホールの議論から一歩外れているように見えるかもしれない。新ホールの議論に忙しい人々はこの提案を枝葉であって危急ではないと考え、「緑化が良いのは解ってる、このホールの後で考えよう」と思うかもしれない。しかし、実はその反対で、新ホールの周り、街の他の部分の計画は新ホールのデザインに強く影響するだろう。ここでの提案は新ホールの大胆なもくろみを成功させるための戦略的な仕掛けである。新ホールが開かれ、そこに楽しく歩ける街がつながれば、イベントがなくても自然に人が集まるだろう。そのことに気が付いてほしい。新ホールがビルバオ効果を発揮するか? 今のままでは疑問である。
吉原弘記(よしはら・ひろき)1956年、阿南市生まれ。名古屋大学大学院建築学研究科修了。東京国際フォーラムのホールBとDを担当。物理学博士。