鉦踊りが奉納される大西神社の境内に立つ喜多さん。「踊りはみんなが集まる機会になる」と力を込める=三好市山城町粟山

 西日本豪雨で、1世帯を除く17世帯32人が避難した三好市山城町粟山地区では現在、3世帯5人が自宅で暮らす。7世帯11人は今も市営住宅などに避難し、先行きに不安を抱えている。それぞれの住民の思いを聞いた。

「迷いはなかった」

 三好市営住宅山城永美団地(山城町下川)に避難していた岡尾功雄さん(72)と妻満恵さん(73)は、西日本豪雨の1年後の2019年7月、粟山地区の自宅に戻った。帰宅日は雨だったが「一日でも早く帰りたかった。迷いはなかった」と振り返る。

 団地では下の階への騒音に気を遣い、周辺の交通量が多いので散歩も控えた。自宅では畑で野菜を育てるのも自由。団地で望めなかったことができ、精神的、金銭的な負担も少ない。「団地の方が便利かもしれないが、体が動くうちはこっちで暮らそうと思った」

 地区では、自治会長の喜多二三男さん(70)が発災後も1人とどまり、岡尾さん夫妻を含む2世帯4人が戻った。岡尾さんは「全員帰って来たらいいと思うが、高齢で足腰も弱る中、元の生活ができるかどうか。帰っておいでと強くは言えない」。

 喜多さんは「皆が帰りやすいように、集落がなくならないように」との思いで道沿いの草刈りを続ける。岡尾さんらが戻って気持ちが少し楽になったものの、「道路が直っても、皆それぞれ事情や考えがある。集落は元には戻らないだろう」と言う。

「粟山を絶やしてはいけない」

 山間部の暮らしは高齢者にとって決して便利ではない。バス停が遠く、車を運転できなくなれば生活に影響が出る人もいる。喜多さんは「いくら田舎が好きでも年寄ったらいろいろ考える。災害が一つのきっかけになった」と打ち明ける。

 「だから、続けないと粟山がなくなってしまう」と力を込めるのが、地区の伝統行事で県指定無形民俗文化財に指定されている「鉦(かね)踊り」だ。今年も8月に開くため、紙製の花飾りが特徴の「花笠(がさ)」の準備を始めた。離れて暮らしていても、住民が集まって踊りの練習や神社の草刈りで顔を合わせる機会になる。当日の踊りを楽しみに帰省する人もいる。「元通りにならないからといって粟山を絶やしてはいけない。あと4、5年かもしれないが体が動くうちは続けたい」。

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