薄暮にターミナルビルの明かりが浮かび上がり、東京から着陸した旅客機が近づく。松茂町の徳島阿波おどり空港。2017年度の利用者は112万人を超え、空の玄関口として県民に親しまれている。

 徳島の航空史は古い。1922年、西條村(現阿波市吉野町)出身の井上長一が設立した日本航空輸送研究所が堺(大阪府)-徳島(小松島市横須海岸)間で運航を始めた。日本初の民間航空路だった。当時は滑走路を必要としない水上機で、海面が発着場として使われた。

 陸上の滑走路が造られたのは戦前の41年。日本海軍徳島航空隊基地が、現在の徳島阿波おどり空港の場所に建設した。軍用のため民間に開放されることはなく、戦後は米軍が接収。58年に海上自衛隊の航空基地として再開された。

 民間に開放される共用空港になったのは62年で、日東航空による大阪線が就航した。以来各地に路線が開設され、空港機能の充実が図られた。滑走路は機材の航空機の大型化とともに順次延長され、今は2500㍍になっている。

 現在のターミナルビルは3代目。今年1月には国際線に対応できる設備が完成し、国際化への飛躍が課題になっている。