鳥居龍蔵著「ある老学徒の手記」

 徳島市出身で、戦前に東アジア各地を踏査した人類学者、鳥居龍蔵博士(1870~1953年)は終戦時、中国・北京にいた。1939年に燕京大に招かれて大陸に渡り、太平洋戦争勃発で大学が閉鎖された後も北京にとどまって、研究を続けていたのだ。

 戦後は再開された燕京大で教鞭を執るが、1951年に帰国を決意。同年12月の帰国後、筆を執ったのが自叙伝「ある老学徒の手記」で、博士が没した1953年に刊行されている。「私は学校の卒業証書や肩書で生活しない」との姿勢を貫いた鳥居龍蔵の志に触れられる書である。

 〈私は明治三年四月四日、阿波の徳島市船場町に生れた〉と書き出される本書は、徳島で過ごした少年時代に考古学や人類学の面白さに目覚めたこと、生涯の師・坪井正五郎(のちの東京帝大教授)が突然家を訪ねてきて「君は早く上京し、人類学を学ばれよ」と励まされた思い出などがつづられる。

 20歳で上京し、東京帝大人類学教室標本整理係に採用された後、中国・遼東半島や台湾、満州、朝鮮半島、南樺太、東シベリアなどでのフィールドワークの日々が生き生きと描かれている。沖縄での長期調査は、若き日の伊波普猷の実家に泊まり込んでのものだったことも記されていて、興味深い。その後、54歳で東京帝大助教授を辞し、鳥居人類学研究所を創設。以後は民間研究者の立場で、東アジア全域をまたにかけての膨大な調査・研究を行った。これらがきみ子夫人、子どもたちと一緒の家族ぐるみでの調査行であったのは、よく知られる通りだ。

 本書に詳細な解説を寄せた田中克彦氏は、一橋大大学院で学ぶために国立の町で下宿を探していたときの思い出を振り返っている。道を尋ねた女性に専攻分野を問われて「モンゴルの研究をしてます」と遠慮がちに答えたところ、こんなやりとりがあったのだという。

 〈その女主人は、うれしそうに、「ああ、モーコの研究ね。近くに鳥居きみ子さんて、モーコの研究家がいらしてね、毎日モーコ服を着てこの辺散歩していらっしゃるわよ。紹介しましょうか」と教えてくれた。(中略)年譜で見ると、きみ子夫人はその翌年亡くなられた。私が仕事をしていた研究室のすぐそばでだ。享年七八歳だったというから、ちょうど今の私のとしだったのだ。運命はしばしば、会うべき人を会わせなくするものらしい〉

 鳥居きみ子は龍蔵の調査をサポートしただけではなく、自身にも『土俗学上より観たる蒙古』の大著があり、“日本初の女性民族学者”との評価がなされている。

 きみ子夫人を巡っては現在、東京の出版社から書籍化の話が進んでいて、来年には上梓される予定だ。先日、編集担当者が徳島を訪れたので、徳島中央公園内の博士の銅像と博士が発掘した城山貝塚、生家跡碑、さらに県立鳥居龍蔵記念博物館を案内して回った。龍蔵・きみ子夫妻を中心としたファミリーの物語としてまとめられるそうなので、刊行が楽しみである。

 なお鳥居の生涯や業績については、中薗英助著「鳥居龍蔵伝 アジアを走破した人類学者」(岩波現代文庫)も読みごたえがある。

 「ある老学徒の手記」は岩波文庫。1200円(税別)。

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