第1次世界大戦時に鳴門市にあった板東俘虜(ふりょ)収容所の松江豊寿所長(1872~1956年)の功績や人柄を広く市民に知ってもらうため、同市鳴門町土佐泊浦の主婦福池ミチ子さん(83)が、語り部の活動を始めた。松江所長の人道的な収容所の運営が、後にドイツ人捕虜による鳴門でのベートーベン「第九」交響曲のアジア初演につながった。2018年の初演100周年に向け、機運醸成に一役買う考えだ。
福池さんは、市内の音楽サークルで12年から第九の合唱や収容所をテーマにした音楽劇を披露している。そうした中、知人との会話でも第九が話題に上ることが増えてきたものの、松江所長の名を知らない人も多く、周囲に伝えたいとの思いが強くなった。
9月下旬から、自宅近くの知人宅や病院などに足を運び、収容所に関する書籍などで学んできた知識を語り継いでいる。
今月上旬に訪れた鳴門町土佐泊浦の主婦岡本豊子さん(86)宅では、ドイツ人捕虜が収容所の様子を描いたスケッチ画を見せながら逸話を紹介。「松江所長は会津の生まれで、会津藩が幕末の戊辰(ぼしん)戦争で賊軍として苦しんだことを知っているから捕虜を罪人扱いしなかった」などと語った。
岡本さんは「板東の住民にも思いやりがあり、収容所の取り組みに協力したから、松江所長も自分の信念を通せたのでは」と感想を話した。
福池さんは今後、サークルや地域の集まりなどにも出向いて活動を広げていく考え。「松江所長がどんな雰囲気の人だったのか想像を膨らませながら話すのが楽しい。鳴門の第九とともに、もっと光が当たるようにしたい」と意気込んでいる。