徳島市と北島、藍住両町境に位置する徳島北高校。敷地の大半は北島町が占めるが、住所は徳島市応神町吉成字中ノ瀬40―6。なぜか。第3学区(徳島市)の旧総合選抜校(総選校)として新設されたため、住所を徳島市とする必要があったとみられる。とはいえ、敷地だけでなく周辺の中学校の多くは第2学区(鳴門市や板野郡などの県北西部)。近く始まる学区制の見直し論議でも焦点の一つになりそうだ。
北門付近は藍住町、鳴門市からは500メートル
一般的な住宅地図を見ると、徳島北高校の敷地外の南に徳島市と北島町の境界線がある。北島町と藍住町の境界線は敷地内にあり、校舎や運動場など大半が北島町で、勝瑞駅側の北門付近が藍住町になっている。地図上だけでは「どの部分が徳島市なのか」と思う人もいるだろう。
徳島市役所や北島町役場を訪れ、市と町の正確な境界を尋ねた。固定資産税の課税に活用する地番参考図や都市計画図が示され、照らし合わせると、徳島北の敷地南端に当たる正門付近がわずかに徳島市になっていた。住宅地図の担当者は「境界が入り組んでいる場合は、分かりやすいよう線引きしているケースがある」と言う。
県教委によると、住所が徳島市になった理由は、誕生の経緯が関係している。徳島北は1997年度に開校した。徳島市のベッドタウンとして松茂、北島、藍住3町の人口が急増。これらの町は第2学区に属しながら特例で第3学区に通うことができたため、総選校の生徒数が増え、吉野川北岸地域で新設の必要性が高まった。
徳島市川内・応神地区と、下板3町(松茂、北島、藍住各町)で候補地を検討。下板3町にすると、第3学区を対象とする総合選抜制度の枠組みから外れるとともに、下板3町が「徳島市に隣接し普通科高校がない」という特例の理由が当てはまらなくなる。変更による混乱が大きいと考え、川内・応神地区に決めた。候補地を探した結果、現在の場所となり、かろうじて徳島市での立地が実現したとみられる。
しかし鳴門市との境に近く、同市大麻町とは直線距離で約500メートルほどしか離れていない。開校前には、同市大麻町の住民から特例として徳島北の通学区に入れてもらえるよう要望が出た。鳴門市幼小中PTA連合会の会長らが県議会に陳情を出したが、不採択になっている。不満はくすぶり、学区制の見直しを求める一因にもなっている。
県教委教育創生課は「総選校の新設が目的だったため、学区を変えると根本が変わってしまう。鳴門市に近い場所になったかもしれないが、あくまで徳島市に新たな学校をつくるということだった」と説明する。
2004年度に総合選抜制度は廃止されたが、3学区制と特例は継続している。県教委は「特に見直しを求める議論はなかった」とする。
一方、学区制との関連は不明だが、徳島北を除く徳島市内の普通科5校(城東、城南、城北、城ノ内、徳島市立)と、鳴門市と板野郡にある普通科2校(鳴門、板野)と徳島北を合わせた3校の入試の平均志願倍率(普通科のみ、学区外除く)は、県北部が高い年が多い。
2018年度入試は徳島市、県北部とも1・03倍だったものの、14年度から17年度までは、徳島市が1・00~1・03倍、県北部は1・03~1・09倍で推移し、各年度とも県北部が上回る。この間の県全体の全日制高校平均は1・01~1・03倍。住民の間では「学区外に進学する場合だけでなく、学区内でも他地域より狭き門になっている」との声がある。
鳴門市大麻町の女性は「徳島北高校は大麻中学校から最も近い高校。学区内だったら合格できる学力がある生徒でも、遠距離通学を余儀なくされるのは納得がいかない」と話している。
《徳島北高校内の市町境と周辺の中学校》
県内公立高校普通科の学区制 地域の高校育成や学校間競争の是正、受験競争の緩和などを目的に1972年度に導入された。学区を県南部(小松島、阿南両市、名東、勝浦、那賀、海部各郡)の第1、県北西部の第2(鳴門、阿波、吉野川、美馬、三好各市、板野、名西、美馬、三好各郡)、徳島市の第3と区分。学区外からの入学者の割合(流入率)を、第1学区が総募集定員の10%、第2学区は同8%、第3学区は学校ごとに定員の8%以内に制限している。佐那河内村と神山、松茂、北島、藍住各町は第3学区の高校にも通える特例が設けられている。併設型中高一貫校の城ノ内、富岡東、川島の3高校の通学区域は県内全域。