太平洋戦争時の学童疎開を機に生まれた交流が、戦後77年たった今も続いている。吉野川市鴨島町飯尾の石原恵津子さん(89)は、当時徳島県内に疎開していた大阪市の女子児童と戦後に再会して以降、手紙や電話でやりとりを続け、60歳を過ぎてからは一緒に旅行に何度も出掛けた。そうして育んだ縁は、戦争のつらい記憶が先行する互いの人生に彩りを添えている。石原さんは「我慢ばかりの大変な時代だったけど、彼女たちと出会えて本当に良かった」と目を細める。

 1944(昭和19)年9月、石原さんが住んでいた浦庄村(現・石井町浦庄)に、鶴町国民学校の5年生40~50人が集団疎開してきた。浦庄国民学校の近くにあった地元名士の屋敷が生活拠点となった。当時は空襲などの戦禍から逃れるため、都市部の子どもが親元を離れて地方に一時移住する措置が取られていた。

徳島新聞電子版への会員登録・ログイン
続きを読むには徳島新聞電子版への登録が必要です。紙面購読されている方は電子版併読プラン、購読されていない方は電子版単独プランにお申し込みください。