「幼い頃から描いていた夢がかなった。感動した」。2006年春のセンバツで小松島高校の控え選手としてベンチ入りした中川裕太さん(29)=東京都目黒区=は、試合開始前の練習で甲子園のグラウンドに立った瞬間が忘れられない。

 初戦の相手は、唐川侑己投手(ロッテ)を擁する成田高校(千葉)。中川さんは一塁ランナーコーチを務め懸命に仲間を鼓舞したが、小松島打線は唐川投手の140キロを超す直球を捉えられなかった。走者を出しても好フィールディングで進塁を阻止された。

 打線は5安打に抑えられ、三塁も踏めずにわずか1時間43分でゲームセット。夢の舞台はあっという間に終わった。「いつもより二塁ベースが遠く感じた」と振り返る。

 校歌を歌えなかったことが悔しく、チームメートと「夏に必ず戻って来よう」と誓い合ったが、県大会では準決勝で敗退した。

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 中川さんは現在、俳優として活動している。NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」に引っ越し業者役として出演するなど、活躍の場を広げつつある。

 高校卒業後は紆余曲折があった。野球をやめ、都内の音響の専門学校に進学したが、1年で退学。埼玉県のアパートでテレビを見ていて、ふと「芸能人になりたい」と思い、19歳で俳優を志した。すぐに芸能事務所約20社にプロフィルを送り、そのうちの1社に採用された。

 都内の劇場で約200人の観客を前に初舞台を踏んだ。その後はオーディションに受からず、思うように仕事が回ってこなかった。所属事務所を辞め、「誰もがいい場所と言うから」との理由で、ゆかりのない沖縄県に移住した。「東京から逃げたい」との思いもあった。

 サーフィンをしたりバーで働いたりと毎日が楽しく、沖縄で生活を続けるのもいいかと思った。2年が過ぎようとしていたある日、人生を見つめ直した。俳優として何もやり遂げていない自分に嫌気が差した。「もう一度俳優として頑張ろう」。腹をくくり、再び上京した。

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 映画やテレビドラマ、大手コンビニのインターネットコマーシャルなどに出演。収入の半分をアルバイト代で賄い、暮らし向きは楽ではないが、著名な監督の勉強会に参加するなど精力的に活動している。

 来年には中国に進出する予定で、中国語も学び始めた。「アジアで最もレベルが高いとされる中国で演技力を磨き、どんな役でも演じられる映画俳優になりたい」と意気込む。

 野球をやめて12年になる。甲子園を目指して白球を追い掛けた頃と同じように、名俳優として活躍する日を夢見て、努力を続ける。

 2006年春

 小松島は5年ぶり2度目の出場。開幕日の第2試合で初出場の成田と対戦し、0-3で敗れた。県大会、四国大会計8試合のうち、4試合でサヨナラ勝ちした粘り強さを発揮できなかった。決勝では、横浜(神奈川)が大会史上最多の21得点で8年ぶりに優勝した。