高校野球が縁で、徳島県に移住した元甲子園球児がいる。大阪府出身の松二隆さん(41)=小松島市中郷町、会社員。1992年、徳島の公立高校では当時珍しかった「野球留学」で小松島西に入学した。

 中学では硬式野球のチームに入り、遠投はプロ選手並みの130メートルを誇った。府内の強豪校から誘われたが、両親が小松島市出身だったことから「徳島の学校で甲子園を狙いたい」と第二の古里での進学を考えていた。

 「『やまびこ打線』に憧れて」池田が第1希望だったが、母親は「そんなに遠くまで行くことはない」と母校の小松島西を受験するよう勧めた。

 練習を見学すると、チームや街の雰囲気がすぐに気に入った。父の実家に住まわせてもらいながら通った。

 甲子園には3年夏に「2番・捕手」として2試合に出場した。1回戦の海星(三重)戦で春夏を通じて甲子園初勝利を挙げ、これが徳島県勢の通算100勝目となった。

 ただ、ゲーム内容よりも印象に残っているのは聖地の風景だ。「朝露の光った芝生や、観客のいない球場を見上げた気持ち良さ」をよく覚えている。

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 「社会人やプロ入りに向けて力を付けたい」と、強豪・東海大への進学を選んだ。しかし、高校3年の秋にキャッチボール中に肩を痛め、思惑が狂う。

 春季キャンプからけが人扱い。時間がたてば治ると診断されたが、強い球を投げると激痛に襲われることが3年以上続いた。練習に参加しても守備には就けず、肩の強さをアピールできない。打撃専門の「指名打者」で定位置を狙ったが、打力は他の選手にかなわなかった。

 「もうやめたい」。両親に相談すると、「自分一人のことではない。退部したら後輩が進学しづらくなる」と反対された。

 チームから学生コーチになることを勧められ、3年の夏に転身。ノックをしたり他校を偵察したりし、仲間を支えた。「いつやめるのか」「病院ばかり行きやがって」。先輩からはこうののしられたが、野球への熱意は冷めず、通院以外は練習を休まなかった。

 4年間野球を続け、チームを無事「卒業」。気が付けば、肩の痛みもなくなっていた。大学を中退し、徳島県内の商社に就職すると、小松島西高で志願してコーチになった。

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 昨年12月、塗料販売会社の営業マンに転身した。今回を含めて3回転職したが、徳島を離れようと思ったことは一度もない。「県内での暮らしが自分に合っているから。野球を思い切りできる環境がありがたい」

 その言葉通り、今も野球のプレーを続けている。多い時には十数チームに所属し、異なるチームで1日に4試合こなしたこともある。

 現在は3チームに所属し、他チームから助っ人を要請されることも。「『もう来なくていい』と言われるまでは続けたい」。根っからの野球好きはそう言ってほほ笑んだ。 

 〈大会メモ〉1994年夏

 小松島西が初戦の2回戦で延長十回の末に6―5で海星(三重)に競り勝ち、春夏合わせて5度目の甲子園で初勝利を飾った。3回戦では北海(南北海道)に5―14で敗れた。佐賀商(佐賀)が優勝した。