浸水した岡山県総社市下原地区。左手前は水蒸気爆発があったアルミ工場(岡山県消防防災航空センター提供)

 2018年7月の西日本豪雨で、最大3メートルの浸水と工場の爆発があったにもかかわらず、夜中に住民約350人が全員避難し、犠牲者が出なかった地区がある。岡山県総社市下原地区。隣接する倉敷市真備町では51人が亡くなった。なぜ下原地区では全員が無事に避難できたのか。避難行動の鍵を握った地元の自主防災組織を取材した。

全戸訪ね説得、350人全員避難 雨天時や夜間も訓練/要配慮者、独自にリスト化

 下原地区を歩くと、真新しい住宅が目につく。「被災後に建て直した家ばかりですよ」。自主防災組織の副本部長を務める川田一馬さん(74)が説明してくれた。

被災時を振り返る川田さん=岡山県総社市下原

 近くには一級河川の高梁川、支流の新本川、小田川が流れる。明治時代に高梁川の堤防が決壊して大洪水が発生し、32人の死者が出ている。西日本豪雨では小田川の堤防が決壊するなどし、地区は浸水した。

 当時の状況を振り返る。自主防災組織が最初の役員会議を地区の公会堂で開いたのは、浸水被害が出る前日の7月6日午後4時。その後、手分けして3河川の様子を見に行き、増水を確認。午後9時に2回目の会議を開いて対応を協議し、「夜も遅いから避難所などへ行くのではなく、それぞれが家の2階へ避難しよう」と決めた。市災害対策本部による「避難指示」発令前の決断だった。

 軽トラックに拡声器を積み込んで地区内を巡り、「2階へ」と呼び掛けた。午後11時半ごろ、アルミ工場で浸水による水蒸気爆発が発生。地区のあちこちにアルミの塊や鋼材が飛び散った。役員が集まっていた公会堂の窓ガラスも爆風で割れ、ガラス片が顔を直撃した人もいる。

浸水して水蒸気爆発が起きたアルミ工場(左奥)=岡山県総社市下原

 日付が変わった7日午前0時半ごろ、市災害対策本部から市中心部に避難するよう電話があった。班長らは全ての住民の家を訪ね、渋る人も説得。一人で避難できない要配慮者30人を含む110世帯約350人全員をマイカーと市の公用車で避難させた。午前4時半には全員の避難を確認。その後、地区は最大3メートルの浸水に見舞われたが、既に住民は避難していたのでその様子は見ていないという。

 

「班長が言うなら」

 自主防災組織をつくったのは東日本大震災翌年の12年。降水量が少なく「晴れの国おかやま」というキャッチフレーズで全国にアピールしていた岡山県は、そのせいか自主防災組織率が低く、市が結成を呼び掛けていた。

 地区内に七つある自治会をベースに、全く同じ構成の七つの班を自主防災組織に置くことにした。班によって世帯数にばらつきが出ることに異論も出たが、川田さんは「自治会と自主防災の班を同じにして正解だった」と言う。

 豪雨の夜中、各班長は一戸一戸訪ねて避難を呼び掛けた。冠婚葬祭や祭りなどの活動をずっと共にしているため、班長は誰がどの建物のどの部屋にいるかまで分かっていた。ただ、避難の呼び掛けにすぐにうなずく人ばかりではない。それでも「普段の付き合いがあれば『班長が言うなら、逃げようか』となる」と川田さん。

 高齢化率が40%を超える下原地区では、一人で避難するのが難しい人も少なくない。そこで、65歳以上で歩くのが困難な人や認知症の人をリストアップし、要配慮者の台帳を独自に作成。見直しも続けていた。

 避難訓練は毎年実施してきた。15年には、前年に夜間に発生した広島県土砂災害などを教訓に夜間避難訓練を行った。訓練日が雨になった年も、延期や中止をせずに決行した。

 水害の場合、状況を判断する情報があっても避難行動に結び付かず、逃げ遅れることがある。下原地区では自主防災組織による避難の決断を「避難スイッチオン」と呼び、行動に結び付ける合言葉にしていた。普段から行政と密にやりとりし、互いに顔の見える関係も築いていた。

 こうしたことが「犠牲者ゼロの避難」につながったといえる。川田さんは「つえがないと歩けない70代の人が、家族より先に荷物をまとめて車に乗り込んでいたケースもあった。訓練を続けていた結果だと思う」と振り返る。

 一方で「運も大きい」とも。「例えば平日の昼間に洪水が起きていたり、工場爆発と浸水のタイミングが違っていたりすれば、状況は変わっていたかもしれない」。当時の行動も悩みながら現場で出した答えだ。「川の水位の確認は消防団員らに頼んでいるが、(その団員らが被災する)二次災害の恐れはゼロにはできず、難しい面はある」と葛藤を語る。

5点、10点でもいい

 課題も抱える。訓練には当初、参加可能な人の9割ほどが出てきていたが、今は6~7割にまで減ってしまった。子どもやその親世代を巻き込みながらさまざまな防災活動に取り組んできたが、子どもの数自体が減り、今では地区の小学生は10人余り。一方で要配慮者は増えている。

 新型コロナウイルスの感染拡大以降、知人宅やホテルなども含めたさまざまな場所への分散避難が推奨される中で、安否確認の方法も見直しを迫られている。

 少子高齢化やコロナ禍など、直面している課題は他の自主防災組織も同じだ。そして、それらを理由に活動が停滞してしまう組織も多い。だが、そうした事例は、川田さんの目には「本気で何とかしようと取り組んでいない」ように映る。

 川田さんは言う。「発災時、命を守るために必要なのは一人一人が『生きよう』という気持ちを持って逃げること。自主防災組織の活動は、100点満点中5点、10点でもいい。大事なのは取り組みを続け、一人でも多くの人に『生きよう』と思ってもらうことなんじゃないか」。

「共助」機能させるには 徳島大・中野晋特命教授に聞く

 水害時に「共助」を機能させるには何が必要か。徳島大環境防災研究センターの中野晋特命教授(地域防災学)に聞いた。

 2020年の熊本豪雨で大きな被害を受けた球磨村の住民アンケートが村のウェブサイトで公開されている。それを見ると、避難した人の多くが切迫した状況になってから行動している。つまり、自分の目で増水した川などを見て危機感を覚えた後、避難している。しかし、水害は1時間で大きく事態が進む。手遅れになる前に動けるかどうかが問われる。

 キーパーソンが1人いるかいないかが地域の避難行動に大きく関係する。例えば、球磨村渡地区の集落のほか、17年の九州北部豪雨で被害を受けた大分県日田市の上宮町集落では、自治会長らが早めの避難を呼び掛けたことが犠牲者ゼロにつながった。

 ただ、徳島県内を含め、自主防災活動が活発だった地域でも、高齢化が進んで活動が滞っているケースがある。災害リスクの高い地域からは若い人が出て行ってしまいがちなのも現実だ。

 町内会長が自主防災組織の長を兼務している場合もあるが、防災には勉強も必要で、やる気だけではできない。今はどの地域も悩みや課題を抱えている。リーダーたちが互いに相談し合えるネットワークをつくったり、研修を支援したりするのが行政の役割になる。

 マイタイムラインの作成が推奨されているが、1人ではできない。大雨が降ったときに、どの場所がどれくらい浸水するのか、イメージする必要がある。過去の浸水被害を知る人を含めて地域の人たちで地図を囲み、危険な箇所に付箋を貼るワークショップを開催するなどして情報や経験を共有することが大事だ。

 自主防災組織の活動の肝は、地域コミュニティーでいかに対話をするか。新型コロナウイルスの感染拡大で難しくなっているが、対話を続けていくことが必要だ。

徳島大環境防災研究センターの中野晋特命教授

 マイタイムライン 住んでいる地域が台風や豪雨に襲われた際にどう行動するのかを事前に時系列で整理しておく手法。2015年の関東・東北豪雨の被災地で新たな取り組みとして始まり、国土交通省が作成を推奨してきた。 

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