今年4月に阿南工業高校と統合し、最後の全国高校野球選手権徳島大会に臨んでいた新野が2回戦で敗退した。

 城東との一戦は緊迫した投手戦。懸命に食い下がる新野の戦いぶりは、2度甲子園に出場し「記録より記憶に残るチーム」と言われたように、心を打つものがあった。

 この日もスタンドでは黄色いメガホンが揺れた。ヒットを打てば大きく打ち鳴らし、ピンチになれば口に添えて声援を送った。92年春の甲子園に初出場した際に用意され、以来、受け継がれている。強豪・横浜や明徳義塾に勝った時も甲子園のアルプススタンドで揺れたことだろう。

 試合を終え、最後のミーティングが行われた。選手を前に、中山寿人監督は「新野に来て野球をして良かったと思える人生をこれから歩んでほしい。一球一球を大切にしたように、一日一日を大切にしてほしい。私の母校日和佐高校もなくなった。でも学校はなくなっても、母校は何歳になろうが忘れられん。この縦じまのユニフォームで戦ってきたことを誇りにして、今後の人生を切り開いてほしい」と伝えた。

 中山監督は取材に対し「私は最初の赴任地が新野で、甲子園も行かせてもらえた。第2の母校のような存在で、また新野に戻ってこられて良かったです」と話した。振り返って思い出すのは赴任当時。グラウンドの草を抜き、石を拾うことから始めたという。そういう歴史を経て甲子園があり、甲子園に出場したメンバーには「礎を築いてくれた先輩がいたから、甲子園に行けたんぞ」とよく言ったそうだ。

 平成に入り、過疎化、少子化でどれだけの高校が姿を消しただろうか。新野も時代の波にのまれ、歴史に幕を閉じる。でも、多くの人たちは新野高校の存在を忘れないだろう。まさに、記憶に残るチームだった。(#夕刊編集部

※徳島県の高校野球を見つめてきた夕刊編集部デスクが、今夏の大会で感じたことを随時記します。