西日本豪雨で大きな被害を受けた三好市山城町の粟山集落で、200年以上前から受け継がれてきた県指定無形民俗文化財「鉦(かね)踊り」が途絶えようとしている。住民が集落外への長期避難を余儀なくされているためで、今夏は鉦踊りの奉納を断念した。来夏以降も再開のめどは立っていない。
山城町では町内各所で鉦踊りが行われており、粟山集落は代表格だった。戦国時代、長宗我部軍との戦に敗れた大西元武の霊を供養するために始まったとされる。かつては隣接する愛媛、高知両県からも見物客が訪れた。
粟山集落では旧暦7月7日に集落内の大西神社で開かれていたが、過疎化で担い手が減少。30年以上前から、集落出身者の帰省に合わせて8月15日に開いている。
山城町の他地区と比べ、踊り手がかぶる花笠が特徴的で、色紙を細かく折って作った花飾りが美しいとの定評がある。花飾りは鉦踊りを神社で奉納した後、魔よけなどのお守りとして各家庭に配られてきた。
集落住民ら約20人でつくる粟山鉦踊り保存会は、今夏も花飾りの制作を進めていた。市営住宅に避難した中岡義一さん(70)は「鉦踊りは粟山の結束の象徴だった。花笠もあと1日で仕上がる段階まで準備できていたのに・・・」とやりきれなさをにじませる。
18世帯34人いた粟山集落は22日午後5時時点で10世帯21人が集落外の市営住宅や親族宅に避難した。残る8世帯13人も集落を出る予定だ。
石川朋敏さん(89)は「若い衆が少ない。戻る日が遠くなれば、鉦踊りはできなくなる。もう終わりかもしれない」。地域の伝統と絆を断ち切る豪雨を恨んだ。