来日した経緯を語る姜さん=小松島市中田町東山の徳島韓国会館

来日した経緯を語る姜さん=小松島市中田町東山の徳島韓国会館

 在日本大韓民国民団徳島県地方本部(徳島民団)の団長、姜盛文(カンスンムン)さん(45)=徳島市沖浜町、自営業=が初めて徳島を訪れたのは35年前、小学校5年生の時だ。「にぎやかでね。東新町は店が並んで人通りが多かったし、駅前にはそごうも、とくしまシティもあって華やかだった」

 釜山生まれ。祖父母は日本統治下の時代に日本語教育を受けた経験がある。その影響か、母親も日本語が話せ、釜山で和食レストランを経営していた。父親は首都圏在住の日本人。姜さんが小学校に上がる頃に父と母は別れ、父の記憶はほとんどない。

 やがてレストランの経営が立ちゆかなくなった。徳島県内の企業経営者が韓国観光に来るたびレストランに立ち寄っていた縁で、母親は徳島へ出稼ぎに。飲食店などで働いた。姜さんは祖母に育てられた。

 母親は釜山に帰省する時は日本の製品を土産に買ってきた。「韓国ではなかなか手に入らなかったスーパーファミコン、ソニーの最新ラジカセ。新製品が来るたび、学校の友達がうちに集まってきた」

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 幼少期から韓国の国技である格闘技テコンドーに親しんだ。高2の時、釜山に極真空手の道場ができ、入門。道場では日本のトップ選手の映像が流されており、憧れが募った。

 学校では、韓国語訳された日本の漫画を読みあさった。「ドラゴンボール、北斗の拳、スラムダンク。どれも面白くて、授業中に隠れて友達と回し読みしていた」。テレビでロックバンドX―JAPANのライブを見た。メンバーは髪を逆立て、派手なメーク。ファンも同じような格好をして熱狂している。日本が自由の象徴に思えた。

 高校卒業後、母を頼って徳島へ。日本語学校に通い、大学受験に必要な日本語検定1級に8カ月で合格した。

 その頃、母の知人が進路相談に乗ってくれた。将来の希望を聞かれ、反射的に答えた。「社長になりたい」「それなら経営学部がいい」。言われるがまま都内の大学の経営学部を受験し、1回で合格した。

 学生時代は都内で1人暮らし。生活のためにアルバイトを探した。当時は「外国人お断り」がほとんど。ようやく見つけたのが歌舞伎町のキャバクラの客引きだった。明け方まで働き、仮眠を取ってキャンパスに通った。

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 2002年の卒業後は徳島に戻りたいと考えていた。その頃、韓国の現代自動車が徳島に営業所を設けた。現代に就職し、帰県して営業職として働く。歌舞伎町で客引きをした身にとって、車を売って歩くのは造作もないことだった。

 仕事を通して知り合った徳島市内の女性と結婚。現代自動車の撤退もあって、徳島に残るため別の事業所を経て10年に独立した。「ホームページを作って仕事を募った。翻訳、保険代理店、韓国ノリの輸入代行。何でもやった」。その中で、清掃請負業が軌道に乗った。今は新型コロナウイルスの影響で低調だが、最盛期は従業員300人を抱えた。

 「人の縁でね。例えば、韓国の製品を入れようとする飲食店から、説明書を翻訳してほしいと依頼が来る。それをこなして関係ができると、その飲食店の清掃も任された」

 徳島民団の団長就任の話が舞い込んだのは、事業が軌道に乗った30代半ば。在日韓国人の多くを3世が占める今、新たに来日した韓国人は「ニューカマー(新規定住者)」と呼ばれる。ニューカマーの団長就任は異例だが、姜さんは意に介さない。「民団は在日1世がつくった団体、韓国出身者が入って当たり前。大事なのは、支え合うことです」。

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