「鳴門オレンジ」という果物を知っているだろうか。阿波国と淡路国を治めていた徳島藩主が「鳴門海峡」にちなんで名付け、淡路島の特産品として育ちながら、徳島県内では生産も流通もしていないため存在を知る県民は少ない。その「鳴門オレンジ」が栽培開始から約300年の時を経て生産存続の危機に直面している。島内では復活への動きが進み、「この機会に淡路特産と分かるよう名称変更してみては」との声もあるという。徳島藩の名残をうかがわせる「鳴門オレンジ」の今を探るため、淡路島に向かった。
兵庫県洲本農林水産振興事務所などによると、約300年前、徳島藩主だった蜂須賀家の藩士が唐橙(ダイダイ)を食べたところ、非常においしかったので洲本の自宅に植えて栽培したのが始まりとされる。その子孫が、12代藩主の蜂須賀斉昌に献上したところ、斉昌は『天下無比の物なり』と絶賛した。物が無名のままではいけないとして、領内を流れる鳴門海峡から「鳴門」の名を与えたとされている。
1889(明治22)年刊行の「鳴門蜜柑栽培要略 全」に、これらの経緯が記されている。
71年の廃藩置県によって徳島藩は徳島県となり、その後淡路島は兵庫県に編入されたが、名は継続された。以降、「鳴門ミカン」「鳴門オレンジ」と呼ばれるようになる。
さっぱりした酸味が特徴で、島内の特産品に成長。生産量はピークだった1970年には2800トンに上ったが、オレンジの自由化や生産者の高齢化で2015年には90トン程度まで激減した。現在の生産者は12軒で平均年齢は79・4歳。大半が後継者がいない。
かつて東京の市場に出荷していた時期もあったが、現在は洲本市の御食菜采館や南あわじ市の美菜恋来屋など島内の産直市やスーパーでしか販売されていない。今の時季は収穫シーズンが終わりのため品数が少なくなっており、販売状況については事前の問い合わせが必要だ。
生産者の一人、若宮公平さん(69)=洲本市由良町=は「昔は淡路の土産といえば鳴門オレンジで、阪神方面に行き来するフェリー乗り場の土産物店にはずらりと並んでいた。鳴門オレンジとは言わず『鳴門』で通っていた」と振り返る。園内には樹齢150年を超す木も多くあり、「多くの人に魅力を知ってもらい、何とかして歴史が続いてほしい」と願う。
鳴門の名が付き淡路島の特産品でありながら、なぜ徳島では知られていないのか。洲本農林水産振興事務所では「島内でしか生産も流通もしていないためではないか」とみている。
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